春雨直播app

慶應義塾

塾长室だより No. 24  スポーツ、音楽、そして美術-一貫教育を貫く文化 (常任理事 山内庆太)

公开日:2026.01.21

常任理事

山内庆太

[担当]一贯教育校ほか

志木高蹴球部-グッド?ルーザー

この年末年始は、志木高蹴球部の活跃が多くの塾生?塾员の话题になりました。

志木高蹴球部は创部68年目で全国ラグビーフットボール大会に初出场を决め、大阪、花园ラグビー场で开催された第105回大会に出场しました。

12月27日の1回戦、青森山田高校を48対12、30日の2回戦、鹿児岛実业戦を31対17で破り、元旦に叁回戦に进みました。

ラグビーを爱好する人にとっては元旦を花园で过ごすというのはあこがれです。私も、二回戦、叁回戦と花园で応援することが出来ました。

东花园駅からラグビー场までの一本道の电柱には、歴代优胜校の名前とジャージが描かれています。その中には、第12回(1929年)の「庆应义塾普通部」、第34回(1954年)の「庆应义塾高校」とタイガージャージと共に书かれています。塾の蹴球部、タイガージャージの歴史を感じますし、志木高がその歴史に新たな页を开いたことを実感します。

そしてラグビー場には、大勢の志木高生、卒业生だけでなく、多くの塾生?塾員が、三々五々やって来ます。その中には、志木高蹴球部出身の、黒黄会(義塾体育会蹴球部のOB会)会長の川上純一さん、楽志会(志木高蹴球部のOB会)会長の松木弘志さんの姿もあります。志木高蹴球部の練習には大学生も、日吉の高校生も協力をしてくれています。川上さんはそのオール慶應のラグビーの環境を支えて下さっています。松木さんは、かつて全国大学ラグビー選手権の準決勝?決勝が1月1日と3日に行われていた時代、1977年、雪の国立競技場での明治との決勝(惜しくも6対7で準優勝)で6点を挙げた往年の名キッカーです。お二人をはじめとする志木高OB諸氏の姿に、志木高蹴球部の永く確かな、しかし花園には届かない苦難の歴史の上に今があることを感じます。

叁回戦の相手は、近年の强豪校、东福冈高校でした。

试合は、前半は东福冈の早く広い展开で点差を広げられました。しかし、后半徐々に志木高は自分达のリズムを取り戻し、后半0対69から、后半17分、そして终了直前にトライを决めて、14対69で终わりました。

特に、试合最后は、残り时间も切れて笛が鸣れば终わるという中でのプレイ。敌阵で大切に大切にボールをつなぎ、最后は、志木高の持ち味であるモールを作り、押し胜ってトライを决めます。最后まで自分达のスタイルを信じて贯いた选手达に、応援に来た人达は、皆、感涙しながら拍手を送りました。

试合后、スタジアム前の広场に出て来た部员达を蹴球部翱叠、保护者、教职员、そして塾生?塾员が迎えます。主将からの挨拶の后、全体での记念写真、そして思い思いに部员の健闘を讃える轮が続いていました。40年に亘って志木高の教諭としてまた监督として指导して来た竹井章さんの、歴代の翱叠达と歓谈しながら、その向こうにいる部员达の姿を温かな柔らかな目で见ているその表情も印象的でした。

そこにいる谁もが、部员达を讃え、いつまでも彼等と共に试合の余韵を味わっていたい、そのような雰囲気でした。私と志木高校长の河野さんは、その情景を远巻きに见ていましたが、そのような素敌な景色を见ることのできる仕合せを感じていました。

スポーツでは、良いチームであるか、良い試合であるかは、負けた後の姿でわかります。かつて小泉信三先生は、「Be a hard fighter and a good loser」、「 果敢なる闘士たれ、潔よき敗者たれ」と塾の体育会部員に語りました。志木高蹴球部の部員達はまさにグッド?ルーザーでした。

东花园駅から近鉄花园ラグビー场までの道(スクラムロード花园)の装饰、第12回は関东代表の普通部が优胜
第34回は庆应义塾高校が优胜
试合终了后の挨拶
志木高蹴球部翱叠は竹井章监督を囲んで记念写真

音楽叁田会コンサート-一贯教育に连なる音楽文化-

スポーツだけでなく芸术でも印象的なイベント等がありましたので、少しご绍介しましょう。

昨年11月30日には、横浜初等部の講堂で音楽三田会主催のレクチャー&コンサート「慶應義塾?一贯教育校の歌」が開かれました。

幼稚舎生と初等部生の「福泽諭吉ここにあり」の合唱ではじまったコンサートは、1874年创立の「幼稚舎の歌」(1925年作)から2013年创立の横浜初等部に至る各校の歌、各校の周年行事に作られた歌等から厳选された17の歌が歌われました。中には普段、式典等でも歌われることのない「庆应义塾高等学校の歌」、志木高の「収穫祭の歌」等も音楽叁田会の有志の合唱団の歌声で聴くことが出来ました。また、贵重な録音テープからの再现もありました。中でも、この机に幼稚舎创立百周年(1974年)の记念音楽会の録音が51年ぶりに発掘され、ダークダックスのハーモニーで「胸にかがやくペンがある」を闻くことが出来たのも懐かしく嬉しいことでした。

コンサートで绍介された合计20の歌は、作られた时代も、学校も様々です。しかし、时代の空気、世间の流行の影响を全く受けずに、庆应义塾が大切にしてきたことが歌词と曲想に表现され、歌われて来たことに気付きます。例えば、戦前の国家主义の强かった时代もそのような时代がかった歌が歌われることがありませんでした。歌词の言叶からも、常に个人の「自由」「独立」を大切にし、伸びやかに「よく学びよく游ぶ」ことを大切にしてきたことがわかります。そしてまた、それぞれに塾に縁のある第一级の诗人と作曲家によって作られて来たことも有难いことで、塾に豊かな音楽文化の歴史があることを改めて実感しました。

最后は全员で塾歌を歌いましたが、参加者の何人かが、このコンサートで歌われた様々な歌の全てが塾歌に収敛しているように感じたと话していたのも印象的でした。

碍别惭颁辞新春展「幼稚舎の仔马たち」-本物の美に触れる日々-

1月8日から叁田のミュージアム?コモンズで、碍别惭颁辞新春展2026「马の跳ねる空き地」展がはじまりました。(2月7日まで)

毎年、この时期には干支に因んで塾の多様なコレクションを集めた展覧会が开かれています。その展示作品の幅の広さとその构成の面白さに感心する展覧会です。

今回は特别企画として、幼稚舎の『仔马』の表纸原画を集めた「幼稚舎の仔马たち」展も行われています。『仔马』は、1922年创刊の『智慧』、1932年创刊の『文と诗』の歴史を受け継いで1949年に创刊され、今日に至っています。生徒の作文や诗を中心に集めた定期刊行物で、现在では年に5回発行しています。

『仔马』が创刊したのは、未だ戦后の復兴に苦労していた时代です、その时期に当时の舎长、吉田小五郎先生は、「この雑誌は「幼稚舎家族」の研究室であり、サロンであり、食卓でありたいと念じます」として新しい雑誌の刊行を决めました。その时に、吉田先生は编集担当の教员诸氏に、「出来る限り安く」「広告は载せてはならない」と同时に「作る上は最高最良のものであること」と注文をつけたと言います。吉田先生は美に対する感性の鋭い人で、本物を大切にした人でした。

そのようにしてはじまった『仔马』ですから、幼稚舎に直接间接に縁のある优れた画家に表纸画を依頼して来ました。今回は、その表纸と共に、幼稚舎が収蔵する原画が并べられました。実际に会场に入ると壮観というしかありません。日々このような优れた表纸画を见ながら育つ幼稚舎生の有难さを感じます。

今日は、デジタル化が进み、安易にデジタルの出版物に移行する时代です。しかし、もし安易にデジタル化したら、このような优れた表纸に実感をもって触れることも、今回のようにその连なりの中に身を置くことも出来ません。これからも、生徒が本物の美に触れられるよう、质素を旨としながらも「最高最良のもの」を大切にして来た塾の一贯教育の姿势を大切にし続けたいと改めて思う展示でした。

仔马表纸
仔马表纸原画