执笔者プロフィール

岩谷 十郎(いわたに じゅうろう)
その他 : 常任理事
岩谷 十郎(いわたに じゅうろう)
その他 : 常任理事
私立学校法(以下、私学法)の改正
2025(令和7)年4月1日、改正私学法が施行された。1949(昭和24)年に制定された私学法は、これまで49回の改正が行われてきた。マスコミで喧伝されたように、この度の法改正はここ数年続いた私立大学の不祥事──理事长の所得税法违反、理事の背任等──への対応策であり、私立学校法人の経営の仕组み(ガバナンス)を一层强化しようとの趣旨に基づくものであった。文科省によれば、幅広く関係者の意见を反映させ、逸脱した业务执行の防止を図るため、「理事、监事、评议员及び会计监査人の资格、选任及び解任の手続等并びに理事会及び评议员会の职务及び运営等の学校法人の管理运営制度に関する规定や、理事等の特别背任罪等の罚则」(同省作成「私立学校法の改正について」より)を详细に定め、改正前67カ条を数えた条文は一挙に164カ条に増加する大改正となった。日本全国の私立学校は、一昨年5月の改正法公布前から、それぞれの「寄附行為」(定款)の手直しに着手し、我が义塾もまたその対応に追われたのである。
庆应义塾规约の歴史
慶應義塾の寄附行為は「慶應義塾規約」(以下、規約)である。現行の規約は1950年に制定され今日まで75年の歩み を閲したが、義塾を団体として組織する規則の歴史は、実は1881(明治14)年の「慶應義塾仮憲法」に遡る。この度の私学法の改正は、学校法人として私学法に沿って改めなくてはならない部分と、慶應義塾として守るべき制度や組織伝統との相互のバランスを図ることが最重要課題であった。慶應義塾のガバナンスの特色は、理事長と学長の職掌を「塾長」という一つの職位に代表させることと、評議員会を最高議決機関とするという2点にある。以下、略述しよう。
社头と塾长、そして评议员会
「塾長」の職名が義塾の規則上初めて現れるのが、前述の慶應義塾仮憲法である。この仮憲法にはさらに「社頭」とい う職が見え、塾長は理事委員の協議により教員から、社頭は理事委員の投票により理事委員から、それぞれ選ばれた。な お、この理事委員は21名おり、慶應義塾維持社中(資金寄付者)の投票によって選ばれ、その理事委員の長である社頭 は、まさに今日的な理事長に相当するものだが、「学事会計一切の事務」を所管したということから、おそらく学長的な 役割も果たしていたに違いない。ちなみにこの時の社頭は福澤諭吉、塾長は浜野定四郎が選ばれた。
この社頭と塾長の職権について、1889年の「慶應義塾規約」では、社頭は「慶應義塾の事」を監督するほか、特選 塾員の資格付与、評議員会の決定に対する再議を提起する等の権限を有した。一方塾長は、「一切の塾務」を総理し、評 議員会の協議を経て、教職員の進退や塾有財産の管理まで任された。規約上は社頭に依然として強い権限が与えられたも のの、塾長は一切の塾務の統括者として現れたのである。なお、この時の規約から、義塾の卒业生と、社頭が特選した者 を「塾員」と定め、その塾員から選挙によって20名から成る評議員会が組織されることになった。ここに今日の評議員会の淵源を見る。
塾长が今日のように経営サイドに入って重要な役割を担うようになるのが、1907年の规约からである。义塾は、创立50年に际して福泽家から諭吉名义であった土地建物の寄赠を受け、财団法人としての认可を得るために规约改正が必要となった。义塾の资产管理や処分は塾员から选ばれた30名の评议员会の决议によるものとされ、评议员互选による5名以内の理事がその业务にあたることになった。そして塾长は评议员の选挙によって选ばれ、理事の一人として経営にも参画するようになる。ここに理事会を执行机関とし、评议员会を最高议决机関とする、现在の义塾のガバナンス构造が出来上がる。ただし、この「法人」化により义塾は合理的な経営主体となったものの、それまで大きな役割を担っていた社头の権限は、もっぱら塾员の推荐や特选といった业务に缩减されることとなった。
新しい「塾长」の诞生
その后、种々の改正を経て、塾长が理事长でありかつ学长でもあるとの定めは、戦后、1950年の现行规约で初めて明文化された。この时の规约の改正は、教育基本法や学校教育法、そして私学法の施行をうけて、私立学校経営の民主化を旨とし、(民法上の财団法人の位置づけから)学校法人への组织替えを図るものであった。尤も、当时义塾にあってこの改正作业に携わった委员、板仓卓造评议员会议长は、「私立学校法に则り最小限度の改正を行ったもので、非常に穏健なものである」と述べ、私学法に沿った组织の改変は余仪なくされたものの、义塾にあっては、もとより民主的で平らかな学校运営は、戦前も戦后もなく続いてきたことを示した。
庆应义塾规约の改正
2025年4月1日、私学法の改正とともに庆应义塾规约の改正も成った。評議員会はこれまで通り「最高議決機関」として運営される。改正私学法は、理事会を「意思決定機関」、評議員会を「諮問機関」とする従来の私学法の基本枠組みを踏襲し、それに付随する規定を細かく定めたが、我々は文科省との何度にも及ぶ確認から、理事会を執行機関、評議員会を決議機関とする従来の義塾の運営を堅持することができた(ただし、理事と評議員の兼職は不可となった)。むろん、 理事長と学長を兼ね一切の塾務を総理するという塾長の職務権限に変更はなかった。ここに、評議員会と塾長とが両輪と なって、これまで通りそしてこれからも、義塾の運営を駆動し続ける仕組みが維持された。かくして条文数では1950年の規約のほぼ2倍に膨れ上がったものの、義塾の制度的骨格にはいっさい手をつけぬままに、規約の「新装化」を図ることができたのである。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。