画像:移筑前の叁田演説馆(庆应义塾福泽研究センター蔵)
叁田演説馆は日本初の演説会堂であり、福泽諭吉により建てられた。昭和42年に国の重要文化财に指定されている。完成は明治8(1875)年で、この顷の庆应义塾は、明治4年に新銭座(现浜松町)から叁田に移転し、开校して间もない4年目に建てられた建物である。本年が开馆150年にあたる。
福泽諭吉は欧米で见闻した「スピーチ」や「ディベート」が、人々が意见を表明し、议论を交わし、世论を形成していく近代社会に不可欠なものであると考えた。当时の日本には、大势の前で自らの意见を述べるという文化はなく、福泽は「スピーチ」に「演説」、「ディベート」に「讨论」という訳语をあて、これらの概念そのものを日本に绍介し、根付かせようとし、叁田演説馆は、そのための具体的な実践の场として建设されたものである。
演説馆は、単に塾生の教育施设としてだけでなく、広く社会に向けた启蒙活动の拠点でもある。多岐にわたるテーマで演説会が开かれ、これは、福泽が目指した「国民全体の知识レベルの向上」を具体化する场であった。叁田演説馆の意义は、「言叶の力によって社会を动かす」という近代的な価値観を、日本で初めて形にした点で、単なる重要文化财というだけでなく、日本の言论の自由、そして民主主义の発展の原点ともいえる歴史的なシンボルといえる。
演説馆は木造、2阶建て、282㎡の小さい建物であるが、建筑的にも価値が高い。明治初期の拟洋风建筑で、外観は、日本の伝统的な「蔵造り」で外壁を漆喰で仕上げられ、防火、防湿、防盗の机能に优れている。演説馆の外壁はなまこ壁を採用しており、独特の意匠で、外壁に一辺が1尺の正方形の「平瓦」をひし形状に贴り付け、その瓦の継ぎ目に、漆喰を蒲鉾状に盛りつけて涂る工法である。通常の土壁の蔵造りより、瓦を敷き詰めるため、高级で、耐火性に优れたものである。
演説馆は、150年の间に保存修缮が何度も行われている。元々、叁田キャンパスの塾监局と図书馆旧馆の间に建っていたが、をきっかけに、今の场所に移筑されると同时に、大きく修缮された。昭和20年の戦灾では、叁田キャンパスは甚大な被害を蒙ったが、なんとか、焼失は免れた。その后の昭和22年に、老朽化や破损した个所を大幅に修缮している。平成8年には15カ月にわたり、全面的な大改修が行われ、同时に耐震补强も施された。现在、椅子は144席が用意されているが、この椅子は昭和50年に演説馆开馆100年を记念して寄付されたものである。
演説馆のその価値は、歴史的、建筑的、そして教育的な面にわたる。自らの言叶で语ることの重要性を肌で感じる场として、生きた教育遗产として、その意义を今后も次の世代に継承していく。
(管财部 渡辺浩史)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。