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慶應義塾

沉丁花とノウゼンカズラ

公开日:2026.02.27

画像:吉野秀雄歌碑と沉丁花

庆应义塾図书馆旧馆の东侧を回ったところは文学の丘と呼ばれ、久保田万太郎句碑、吉野秀雄歌碑、佐藤春夫诗碑という3つの文学碑と新剧の父、小山内薫胸像が立っている。一番手前にある吉野秀雄の歌碑は1972年7月に立てられ

「図书馆の前に沉丁咲くころは恋も试験も苦しかりにき」

と刻まれており、碑のそばに植えられた沉丁花が春先には强い香りを放つ。日本叁大芳香木の一つである沉丁花は沉香と丁子の香りから名づけられたそうだ。実は2017年から2年にわたる図书馆耐震补强改修工事以前、沉丁花は玄関脇にもあったが、工事で建物回りが掘削され、土を浅くせざるをえなくなり植栽は取り払うことを余仪なくされた。またそれ以前、2000年の东馆建设前にさかのぼると、幻の门をとおり、キャンパスにあがってくると沉丁花の香りに迎えられたのを思い出す塾员も多いだろう。図书馆の前や阶段脇には多くの沉丁花が咲き夸っていた。歌碑の建立から3カ月后の1972年10月、大正14年叁田会から沉丁花の苗木50本が寄赠され植树されたが、いまはわずか2、3株となっていて寂しい。

叁田の山は元岛原藩の中屋敷だったため庭木が豊富にあり、塾监局の前には池もあった。歴史をたどると、沉丁花はすでに大正时代、図书馆の前、大ホールの前、ヴィッカースホールの横、万来舎の入口など、いたるところにあったという。吉野秀雄は1920(大正9)年の入学なので、まさに2、3月の试験の时期は沉丁花の花の香りでむせるようだったろう。戦前、学生だった塾员にとって沉丁花の香りは叁田の山を彷彿とさせるものだったに违いない。

佐藤春夫の诗碑には、4行诗「断章」「さまよひ来れば秋草の……」が彫られているが、佐藤には「酒、歌、烟草、また女」という叁田の学生时代を唄った诗がある。1928年に『叁田文学』に発表された。

「ヴィカスホールの玄関に 咲きまつはった凌霄花(りょうしょうか) 感伤的でよかったが 今も枯れずに残れりや……品川湾の海のはて 自分自身は木栅(さく)に よりかかりつつ眺めたが ひともと银杏(いちょう)叶は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の试験も近づきぬ……」

佐藤は凌霄花(ノウゼンカズラ)を好み、和歌山の记念馆は夏になるとたくさんのノウゼンカズラでオレンジ色に囲まれる。叁田の図书馆脇にもあったが今はない。

东馆竣工后、当时の管财部长が木製のパーゴラを作って下を这っていたノウゼンカズラの蔓をそこに这わせた。文学の丘につながるゆかりの花だったが、いつのまにかなくなった。桥の下にパーゴラはまだあり、なんとか復活できればと愿う。

(元広报室长 石黒敦子)

※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。