「卒業」という言葉には、人それぞれの思いが込められている。慶應義塾での学びを終え、社会へと巣立つ門出の瞬間。今回は、この節目をめぐる2つの話題、「卒业の日」と「卒业発表」の歴史をひも解いてみたい。
庆应义塾大学では、长らく卒业式が行われる3月23日を「卒业の日」と定めてきた。カレンダーの都合で式の日程が前后しても、学位记に记される日付が、正式な「卒业の日」とされてきた。転机が访れたのは2010年代初头であった。まず2010年3月、医学部のみ「卒业の日」が3月10日に前倒しされた。その后、学部毎に「卒业の日」が异なることへの悬念を理由として、翌2010年度からはすべての学部で3月10日へと一斉に「卒业の日」が変更(春学期は9月5日を新たに定义)されている。そして、この変更が适用された最初の年度末、2011年3月11日に东日本大震灾が発生した。もし旧来の「23日」のままだったとしたら、混乱の中で学位记の授与や証明书発行が滞るといった事态が発生していた可能性が高い。
次に「卒业発表」の风景を振り返りたい。现在は学业成绩表オンライン閲覧画面で合否を确认するのが当たり前だが、ここに至るまでには3つの段阶があった。
まず1つ目は、「纸掲示」のみという2002年度までの时代である。叁田キャンパスを例にとれば、西校舎地下2阶に、学籍番号?クラス?氏名を掲载した一覧が贴り出されるのが春の风物诗であった。当日午前9时前には大きな人だかりができ、贴り出しと同时に谁もが自分や友人の名を探して一喜一忧する热気あふれる光景が见られた。
次の2つ目は、2003年度から2010年度までの「纸掲示(2007年度から掲出场所を西校舎地下1阶に変更)と奥别产一覧の併用」时代である。个人情报保护の観点から氏名の掲出をやめ、学籍番号とクラスのみの掲载とした上で、奥别产上でも同様の一覧を公开するようにした。
そして、现行方式につながる3つ目の时代への転换点が2011年度である。この年は「様子见」の过渡期として奥别产一覧を廃止。それまで午后3时以降に公开していた个别确认方式(奥别产上の学业成绩表オンライン閲覧)を前倒しし、サーバ负荷対策として学部别に时间をずらしつつ、午前9时から顺次公开することとした。今まで通り纸掲示も継続したが、盖を开けてみれば掲示板前を访れる学生はほぼ皆无であり、学生の意识は既に画面の中へと移行していた。この结果を受け、翌2012年度から现在の个别确认方式へと一本化されたのである。
「卒業発表」という1つの行事にも、情報化と個人情報保護、そして学生の行動変容という時代のうねりが色濃く映し出されている。 (学生部事務長 中峯秀之)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。