执笔者プロフィール

长岛 昭
その他 : 名誉教授
长岛 昭
その他 : 名誉教授
庆应义塾の学校林を访れると素晴らしい木々が育っているのを见ることができる。この学校林のできた背景には、半世纪以上前の庆应义塾の苦しい歴史が秘められている。
第2次大戦後の慶應義塾は厳しい財政難と塾運営方針の混乱で苦境にあり、高村象平塾長はこの真っただ中で揉まれていた。戦災で壊滅したキャンパスの復興資金不足には、学生数を増やすか学费値上げしか方法がなかった。しかし全国の大学に先駆けて慶應で学费闘争が起こり、高村塾長が学生団交で閉じ込められた。また筆者が小金井工学部から言われて塾長選挙制度を決める委員会に出てみると、三田の大教室で大声の激論が飛び交っていて仰天した。やがて選出された永沢邦男塾長は、慶應義塾の長期方針を審議する全塾の委員会を発足させた。佐藤朔委員長と共に合宿審議していたら、突然夜になって永沢塾長が来られ、その強い危機意識を感じさせられた。
庆应义塾は塾债の発行などによってどうにか危机を切り抜けたが、高村前塾长は塾财政を长期的に安定させる方策の1つとしてかねて考えていた学校林造成に着手した。そのために结成された林业叁田会と、林野庁や地元関係者の热心な协力により、昭和40年に财団法人福泽记念育林会が认可され、福泽基金の援助も受けて最初の植林が那须伊王野で行われた。この写真にはその関係者の喜びがあふれている。高村前塾长は育林会の理事长を引き受け、いずれ50年后には1.5亿円の贡献をしたいと期待を语った。
しかし庆应义塾の财政がどうにか危机を脱すると、育林事业は忘れられた。高村理事长は30年近くにわたって育林事业の心配をし続け、林业叁田会が献身的に庆应の森を守った。国有林に庆应の木を植える最初の方式のほか、宫城県の志津川には広い塾有林も得た。
昭和から平成に変わり、学校林の役割として环境保护や教育贡献が见直され、塾员からの寄赠も受けて再び庆应义塾の森は増えていった。育林友の会も结成され、塾当局や林业叁田会と共に塾有林を守っている。现在、东北から西日本まで160ヘクタールの地に庆应の美しい森林が広がっている。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。