画像:病院は1号栋が落成したばかり。1958年竣工の国立竞技场の南侧には神宫第2球场、神宫球场、秩父宫ラグビー场がみえる(1965年顷)。
庆应义塾大学医学部?病院のある信浓町周辺は、东西に走る闯搁中央?総武线によって南北に分けられ、医学部は北侧に位置する。南侧は神宫外苑で、絵画馆や国立竞技场がある。青山练兵场跡に明治神宫外苑造営が1919年12月に始められた。
1965、6年顷の写真をみると、「1964年东京オリンピック」の主会场となった国立竞技场の手前には神宫プール(1930─2002年)が、また「く」の字に縦に走っている外苑东通りには都电(1906─69年)が走っている。信浓町駅近くの道路には、当时としては珍しい歩道桥(1964年)があり、映画「君の名は。」(新海诚监督)の圣地となっている。
医学部?病院の敷地は陆军跡地で、现在も「陆军省所辖地」と记された境界石が外苑东通りに残されている。练兵场との间には3本の桥が架けられていたが、现在は车の通れない「无名桥」が1本残っている。外苑の开発と同年の1919年4月に信浓町での授业が开始されが、开校开院式は病院の完成を待って1920年11月に行われた。その建物は1945年5月24日の空袭でほとんどが焼失したが、幸いなことに200名余の入院患者は无事救出している。戦后いち早く木造の病院で诊疗を开始し、その后1950年建筑の「は」号栋を始めとして、54年までに2号栋、6号栋、7号栋、63年に中央栋、65年に1号栋が完成した。また、医学部では56年から61年に第1校舎、东校舎、第2校舎が建设された。
55年后の2021年の写真でも、街の基本构造は大きくは変わっていないが、「东京2020オリンピック?パラリンピック」の主会场となった新国立竞技场が目立つ。また、医学部?病院以外に大きな建物がなかった时代に比して、周囲に同程度の高さの建物が多く见られる。
2018年竣工の1号馆に至るまでに、2号馆、3号馆、総合医科学研究栋、临床研究栋の他、孝养舎等が建设され、予防医学校舎、北里図书馆、东校舎以外のほとんどの建物が入れ替わっている。今春、すべての改修工事を完了し、病院はグランドオープンを迎える。「庆应医学」の隆盛発展を象徴しているかのようである。
(庆应义塾大学名誉教授?医学部叁四会长 武田纯叁)