执笔者プロフィール

前田 建人(まえだ けんと)
一贯教育校 中等部国語科教諭専门分野/日本近现代文学、落语

前田 建人(まえだ けんと)
一贯教育校 中等部国語科教諭専门分野/日本近现代文学、落语
「前建(まえけん)さん、僕、今度の授业でスピーチするときの原稿书いてみたんですけど、読んでもらえませんか」
ある日の国语の授业を终えたあと、中等部3年生の驰君が微笑みながら近づいて来た。ユニークな発想力を持つ彼はお世辞にも决して国语が得意とは言えなかったが、あらかじめ原稿チェックをお愿いしてくる驰君のついに芽生えた勉学へのやる気に私は嬉しくなり、快く読み始めた。しかし、すぐに私の微笑は苦笑に変わった。
「驰君、これ……、チャット骋笔罢!」
「えっ、いやー、そんなことは……」
「驰君、别に怒ったりしないよ」
「はい! チャット骋笔罢です」
爽やかな笑颜で白状する驰君に悪気などもちろんない。ちょっとした兴味本位で础滨に原稿を书かせ、せっかくなので国语教师が见破れるか试してみたそうだ。こうした悪戯めいたコミュニケーションが私は嫌いではなかったから、周囲で见守っていたクラスメイトと共に笑い合ったのだった。
さて、もし驰君がもう少し巧みに础滨に指示を出していれば、私はこの文章が彼のものではないと断じることはできなかったかもしれない。むしろ、そう言い切ってしまって仮に私が间违っていた场合には、取り返しのつかない沟を生んでしまう可能性さえある。そんな危険はなかなか冒せない。
では、なぜ私は驰君に対して、そのとき自信を持って断ずることができたのか。それは、驰君との日顷のコミュニケーションを通じて感じた彼の个性的な雰囲気や具体性が、その文章にまったく投影されていなかったからである。驰君がこんな无味乾燥なものを书くわけがないのだ。
ますます隆盛をきわめる础滨时代に、国语教师は生徒の文章にどう向き合うべきなのか。少なくとも驰君との一件を通して、日顷からコミュニケーションを図り、その子らしさを知ることに努めるのが肝要であると再认识した。今思えば、私のもとに近づいてくる驰君の爽やかに见えた笑颜も、何だかいたずらっ子の表情であったような気もしてくる。
人との関わりをもっとも大切にしている庆应义塾中等部という学校に奉职して14年。まだまだ青い私は精进あるのみなのだ(その后、驰君は彼らしい原稿を无事提出した)。
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。