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慶應義塾

入学试験の歴史

1998/03/01

『塾』1998年 No.210 掲載

义塾は创立后しばらくの间、入塾に际して特に试験を课していなかった。
入学试験が本格的に导入されるようになったのは、大学部を设置した明治中期以降のこと。
私学で最初に総合大学となった义塾の入学试験の変迁は、わが国における私立大学の“入学试験史”でもある。
今回は、義塾の入学试験の歴史を紹介しよう。

明治19年

画像

帝国大学令発布

この年以後、大学部発足に向けて準備が始まる。5月に『慶應義塾社中之約束』を改正。その中の「入社退學ノ規則」に「一???試験ノ上適当ノ級へ編入スベシ 但シ未ダ全ク英字ヲ知ラザルモノハ科外二編入スルガ 故二履歴書ヲ出シ試験を受クルニ及バズ」とあり、入学後の英語のクラス分けのための試験を導入した。

明治22年

庆应义塾资金を设置

资金面での準备を整える。

明治23年

学生募集の広告

この年に设置された大学部は“高等教育机関”として位置づけられるため、高等教育を受けるに値する者を—ということで、以后入学试験が行われるようになる。

『慶應義塾大學部規則』によると「各科第一年級二入ルヲ得ルモノハ本塾卒業証書ヲ受領シタルモノ若クハ大学部入学試験二及第シタルモノトス 但本塾別科卒業証書ヲ受領シタルモノハ入学試験科目ノ内数学、英語学ノニ科ヲ試験シ及第シタルモノニ限リ入学ヲ許ス」とあり、正科卒业生は無試験、別科卒业生は英語?数学の2科目を受験することになっていた。一般入学考の場合は「漢書、地理、歴史、物理学及化学、数学、英文和訳、和文英訳、英語書取、日本作文?手跡」の9科目だった。

明治31年~

大正8年度入学试験问题

『庆应义塾改正规则摘要』に「各部第一学年に入るを得る者は本塾普通学科卒业証书を受领したる者、若しくは大学科入学试験に及第したる者とす」とあり、试験科目には「日本地理、万国地理、日本歴史、万国歴史、博物学、物理学及化学、数学(算术、代数学、几何学、叁角术)、英文和訳、和文英訳、英语?会话及书取、日本作文、図画(自在画)」が挙げられている。この当时は「寻常中学校卒业の程度」、「英语学科は本塾普通学科卒业の程度」であることが受験资格となっており、寻常中学校卒业者は、「英文和訳、和文英訳、英语会话及书取」の3科目の试験を受けなければならかった。さらに「入学试験を受くる者は入学申込の时定规の试験料を会计局へ纳むべし」とあり、试験料は1円だった。

大正末期~

『大正13年度 庆应义塾入学案内』/『昭和16年版 庆应义塾(竝 藤原工大)案内』/(现在の塾生案内)

この顷には入学案内(现在の塾生案内)が発行されており、过去の试験问题なども掲载されていた。例えば『大正13年度庆应义塾入学案内』には、大正12年度试験科目として、経済学部?法学部?文学部が英(独?仏)文和訳、和文英(独?仏)訳、数学、汉文、国语(作文)の5科目。医学部は英(独?仏)文和訳、和文英(独?仏)訳、数学、汉文、国语(作文)、物理学、化学、动植物学の8科目、全学部に共通して口头试问と身体検査が课せられていた。

また、入学案内には<こんな人は入学出来ない>という项目もあり、零点または类似の点を取った场合は他の科目の成绩が良くても入学できないこと、いくら学问の方で満点を取っても体格検査に不合格ならば入学できず、医科の场合は他の学科に比べてその基準が比较的厳しかったこと、さらに医科のみ年齢制限があって満23歳以上の者は受験できないこと、试験场での不正行為などについて书かれてある。

昭和初期~

『昭和16年版庆应义塾(竝 藤原工大)案内』によると、昭和15年度の学科试験科目は医学部が化学、数学、英(独)文解釈、英(独)作文?文法、汉文、国语。文?経済?法学部では、英(独?仏)文解釈、英(独?仏)作文?文法、数学(経済?法学のみ)、汉文、国语、国史(文のみ)。学科试験以外に口头试问と身体検査もあった。试験料は5円だった。

戦后~现在

昭和41年の合格発表

戦后、新制大学制度になってからは、国公立大学では1期?2期校、共通一次と试験制度が変わり、现在はセンター试験制度、分离分割?连続方式が行われている。私立大学でも、共通一次试験からセンター试験への移行前后からさまざまな试験方式が导入されるようになった。平成10年现在庆应义塾では、全学部で一般入试を行なうほか、推荐入试では础翱入试(総合政策?环境情报)?自主応募制による推荐入试(文学部)を実施している。

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