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慶應義塾

声と写本の〈マス?メディア〉—西洋中世の説教研究—

登场者プロフィール

  • 赤江雄一

    文学研究科 史学専攻 西洋史学分野

    赤江雄一

    文学研究科 史学専攻 西洋史学分野

2026/04/01

私の専门的な研究対象は、13世纪から16世纪の西ヨーロッパの説教です。古代から现代まで世界の多くの文化で、宗教的な教えを大势の人々に対して语る行為はおこなわれてきました。ただし、中世后期の西ヨーロッパのキリスト教(すなわちカトリック)の説教は、当时の社会において独特の重要性を帯びることになり、世界的に见ても兴味深い発展を遂げました。

ヨーロッパでは、15世纪の半ばのグーテンベルクによって活版印刷の导入が行われ、それ以前の书物は手书きで复製された写本でした。したがって、ヨーロッパでは、活版印刷の导入以降に「マス?メディア=大量言説普及システム」が出现したと考えられがちです。しかし、13世纪以降の中世のキリスト教、とくに、フランシスコ会やドミニコ会といった托鉢修道会による説教活动が、活版印刷を前提としない大量言説普及システムとしての仕组みをかたちづくり、当时のカトリック教会と当时の社会に深く影响を与えたのです。

私の研究はまず、写本研究に基づいて、13世纪から16世纪初头までのあいだに机能していた説教の仕组みがどのようなものであったかを復元しようとするものです。その理解が深まってきたことで、当时の様々な出来事について、以前とは异なる理解ができる/理解をすべき部分がでてきました。最近の私の研究には、こちらの侧面を扱うものが増えてきています。

口头で多くの人々に语りかける行為は、活版印刷术以降のマス?メディアがいまだ存在していない时代においてはとりわけ重要な意味をもっていました。たとえば、电波のない时代において、口头の説教は、电波がなくても「放送」のような意味をもっていたのです。近世の印刷が政府によって统制されたように、そして放送が现在も政府の许认可の対象であるように、中世のカトリック教会も様々なかたちで、だれが説教できるか、だれが排除されるか、どのような説教が望ましくないのか、コントロールしようとしていた(そしてしばしば失败していた)のです。

长い间、説教史料は、政治史?国制史?社会経済史などの侧面に主な関心をおく主流派歴史学からは研究する意义のある史料とは见なされていませんでした。多くが(実际には俗语で语られていたものの)写本上ではラテン语で书かれているために、各国语文学でも研究の対象から外されがちでした。一番縁が深そうな神学でも、论考的な着作と比べて説教は軽视され、哲学も、独创的な哲学的知见が见出されないとして説教を扱わなかったのです。こうした见方はまだ残っていますが、変わりつつあります。

私が20年以上にわたって説教史料の探索をしてきて思うことは、説教史料は、中世研究の「どこでもドア」のようだということです。突然予想もしない中世世界の别のところにドアがひらける経験を何度もしました。説教者が、当时の中世の生活の様々なことを话题にするので、そのトピックについて突然调べる必要がでてくるからです。説教での言及が当时の実态を証明するものではなくても、それが当时の人びとに问题なく受け入れられるだろうと説教者が认识していたと考えられる场合があります。逆に、聴众が反発したと分かる事例もあり、それもたいへん兴味深いのです。

私は现在、文学研究科の「」にも関わっています。それぞれの学问分野(ディシプリン)を大事にしながらも、それに缚られずに幅広く西洋中世にアプローチすることの重要性を确信しているのは、まちがいなくこうした研究上の経験によります。西洋中世の説教という営みを研究対象とすることは、特定のテーマの探究であると同时に、西洋中世世界全体を理解するための窓を开くことでもあります。私はこの窓から见える景色を、これからも学问的に探究していきたいと考えています。