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慶應義塾

歴史的アプリオリとしてのメディアを问う

登场者プロフィール

  • 川岛建太郎

    文学研究科 独文学専攻

    川岛建太郎

    文学研究科 独文学専攻

2020/04/01

メディアは「歴史的アプリオリ」として私たちの记忆、思考、判断、芸术表现、情报伝达等を规定しています。私の研究は、文化がいかにメディアに规定されているかを问うものです。人间にとってアプリオリ(=先験性)となるものが歴史的である、という见地がメディア论の根底にはあります。

私の研究は、ヴァルター?ベンヤミンを読むことからスタートしました。ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」などの著作で知られるドイツの思想家です。まず着目したのは、彼が「写真小史」という論文を書いたほぼ直後に、自伝を書きはじめたことです。ベンヤミンの自伝『ベルリンの幼年時代』は、写真というメディアを理論的に考察したすぐ後に書かれたのです。つまり、自分の過去を想起するにあたって、写真という19世紀に発明された記憶メディアの影響力を強く意識しつつ書かれた自伝なのです。この点において、写真の発明以前に書かれた自伝であるルソーの『告白』やゲーテの『詩と真実』とはっきり異なっています。それでは、写真という—私たちにとってあまりに自明で日常的な—記憶メディアを前提とする自伝は、写真以前の時代に書かれた自伝とどのような違いがあるのだろうか? 博士論文では、この問いに答えるために、20世紀の5人の作家の自伝を、写真との関係から読み解きました。

このような研究にあたって私が依拠しているのは、1980年代からドイツで隆盛したメディア论です。ここで言うメディアとは、新闻やテレビのようなマスメディアだけでなく、より広く、记忆や情报伝达や芸术表现を媒介するさまざまな技术のことです。言いかえれば、コミュニケーションを可能にする技术的前提であり、そうであることによって、そのつどのコミュニケーションの在り方を规定するものです。そうであるならば、さまざまな芸术や情报伝达において何が伝えられているのか、を考えるためには、それを伝えているメディアがどのような性质のものか、を把握する必要があります。メディアにはそれぞれ特徴があり、その特徴によって可能になる伝达が左右されるからです。

このようなメディア论が、とくにドイツで発展したのはけっして偶然ではありません。ドイツにはメディア论が発展するための思想的な土壌として、観念论哲学の伝统があります。哲学者カントは、人间が世界を感知するためのアプリオリな形式として时间と空间があると主张しました。カントが时间と空间を抽象的にとらえ、永远不変のフォーマットとして想定しているのに対して、メディア论は、时间と空间がメディア技术の発达とともに、歴史的に変容してゆく様をとらえ、メディアを、知覚やコミュニケーションを规定する「歴史的アプリオリ」として把握しようとします。

ドイツのメディア论が、フライブルク大学で学んだ研究者(フリードリヒ?キットラーやマンフレート?シュナイダーなど)によって立ち上げられたのも、やはり偶然ではないでしょう。元同大学総长のハイデガーの哲学、とくにその技术论が、ドイツのメディア论に大きな影响を与えています。ハイデガーによれば、现代テクノロジーは、もはや人间が自然を支配するための道具ではなく、むしろ逆に人间の存在を规定するものとしてとらえるべきものです。ドイツのメディア论を代表する理论家キットラーが、「メディア史とは存在史にほかならない」、と主张するとき、まさに人间の存在のあり様が技术によって规定されているというハイデガーの技术论を継承しています。

私は文学研究者として、メディア论を援用しながら文学作品を読み解く実践を行う一方、メディア论自体を研究の対象とし、ドイツ思想史のなかでそれを位置づけ、その系谱を描くことをめざしています。また、日本ではほとんど受容されていませんが、ドイツのメディア论はキットラー以降もさまざまな展开を见せています。その动きをフォローし、研究に取り入れるよう努力しています。なかでも近年とくに力を入れているのは、文学と法の関係をめぐるメディア论です。法と正义を区别し、『ドイツ悲剧の根源』のギリシャ悲剧论でそれを展开したベンヤミンが、ここでも重要な参照点となります。

(2020/04/01)