登场者プロフィール
田中愼
文学研究科 独文学専攻田中愼
文学研究科 独文学専攻
2024/04/01
ドイツ語を中心に言語を研究しています。ドイツ語と日本語はまったく違う言語ですが、同じ世界を表象し、それを伝えるしくみという意味では共通した働きを持っています。一方で、ドイツ語と日本語は、語彙はもちろん文法も全然違っています。日本語で「兄」は、ドイツ語ではまったく違った形を持った「Bruder」と表されますが、その際、「兄 = Bruder」ではありません。また、Bruderは、文法的には男性名詞に分類されます。ドイツ語では無生物の名詞も文法の性を持ちますが(例えば机(Tisch)は男性)、日本語にはそのようなしくみはありません。また、日本語には冠詞もありませんが、ドイツ語の名詞は英語と同様に定冠詞、不定冠詞、無冠詞の三つのパターンで用いられます。
この语汇そして文法の违いはどこから来るのでしょうか。无限のモノを表すためには理论的には无限の语汇が必要なはずですが、そんな言语はありません。一つのモノに一つの名前という「ぜいたく」は固有名词に限られ、普通の名词は一つでたくさんの共通したモノを表します。つまり、私たちは世界の无限のモノを共通した特徴を用いた「类概念」の集合として把握しています。言语によって世界は切り取られているのです。この「切り取り」の仕方は言语ごとに异なっていますが、その违いは「切り取り方」にあるのではなく、「切り取りの抽象度」にあります。例えば「兄」は「自分の亲の男の子ども」で自分よりも「年上」のモノを切り取りますが、叠谤耻诲别谤は、「年上」という要素は含まれないレベルを切り取っているのです。この切り取られたモノは、さらに现実世界の対応物と结び付けられる必要があります。そうでなくては具体的なモノに言及できません。そのための手段が文法です。无数にある「叠谤耻诲别谤」の中から、私の(尘别颈苍)、その(诲别谤)、ある(别颈苍)など、冠词という文法手段を用いて具体的なモノが特定されます。定冠词は、対象を指し示す指示代名词から発达したもので、モノを直接指し示します。一方で、不定冠词は名词の性质面を强调し、どのようなモノであるかを描写することによってモノを规定します。このように同じモノはさまざまな観点から规定されますが、そのうち具体的な一つの现れが言语化されます。これは、私たちがモノを见る时に必ず特定の角度から见ますが、これと同じことを言语でもやっているのです。
このようにドイツ语や日本语のしくみを探るということは、私たちが世界をどのように切り取り、そしてその切り取ったものをどのような角度から见ているのかということを记述することにあります。ドイツ语と日本语は、切り取り方やその见方は违っていますが、その违いは程度问题で、基本的に非常に类似したしくみになっています。言语を学ぶことは、根源的な意味でいろいろなモノゴトの见方を学ぶことなのです。
(2024/4/1)