2024/12/11
今では谁もが使う「演説」という言叶は、福泽諭吉が英语の“蝉辫别别肠丑”の翻訳语として编み出した。「演説」を教育の一环として取り入れた福泽は、庆应义塾のみならず一般の人々にも公开することを决め、福泽とその门下生によって1874(明治7)年に组织されたのが「叁田演説会」である。今年はその発足から150周年。「演説」の理想を振り返り、どのように受け継がれているかを考えたい。
叁田演説会は毎年异なるテーマで讲演を行う。幅広い层の聴讲者が集まる(写真は2023年)
マニュアルなき「演説」その方法论の模索
近代以前の日本では正式な意见表明は文书化することがルールであり、口头で述べる意见は軽く考えられていた。しかし、明治维新を経て日本でも议会设立の机运が高まり、口头での意见表明は必要不可欠となっていた。西洋の“蝉辫别别肠丑”の概念を体得していた福泽諭吉は、まずこの言叶に「演説」という訳语を当てた。「演説とは英语にて『スピイチ』と云ひ、大势の人を会して説を述べ、席上にて我思ふ所を人に伝うるの法なり」(『学问のすゝめ』十二编)。
次に、庆应义塾の门下生らと演説の実践のための方法论を「开発」するところから始める。小幡篤次郎、小泉信吉などそうそうたるメンバーが集まった。彼らは话し方の基本的な技术?スタイルから模索し、时には互いに滑稽に闻こえるやりとりがあったためかメンバー间で「决して笑ひ出してはならない」と约束したとも伝えられている。试行错误を重ねながら、やがて演説や议论の决まり事を定めていき、日本语による演説のスタイルを磨き上げていった。
1874(明治7)年、彼らは叁田演説会を组织して「演説」を一般にも公开。翌年には叁田キャンパス内に日本初の演説会堂として演説馆を开设した。さらに演説や讨论の方法についての本や规则を公表し、やがて庆应义塾発の「演説」は多くの人々に受け入れられるようになった。
叁田演説会の発足言论が社会を动かす时代へ
明治10年代前半は、宪法制定や国会开设を诉える自由民権运动の高まりによって、全国で演説会活动が活発化していた。当时の演説者や演説结社の记録を见ると、塾员が多く、この「演説の时代」において叁田演説会が大きな役割を果たしていたことがわかる。初期の帝国议会においても、尾崎行雄、犬养毅、井上角五郎など、塾员が论戦のハイライトとなっていた。
とはいえ、叁田演説会は决して政治的な言论に偏ることなく、むしろ学术的な演説会であることを目指していた。细菌学の野口英世、チベット语学の河口慧海、地震学の大森房吉など、国际的にも活跃する当时の各界第一人者を招いている。
大正デモクラシーの时代、尾崎行雄を中心とする宪政拥护运动が桂太郎内阁を総辞职に追い込むなど、自由民権运动と同様に言论の力が社会を动かす时代となった。第一次世界大戦への参戦もあって日本が国际社会において地位を高めていくと、叁田演説会の演题もヨーロッパやアジアなど国际情势に関するものが多く取り上げられるようになった。
しかし昭和初期、五?一五事件や二?二六事件などのクーデター事件を経て军部の独走が进むと、今度は言论の力への警戒感が高まった。五?一五事件で首相官邸に押し入って銃を向ける青年将校たちに「话せばわかる」と言い放った犬养毅は言论=演説の力を最后まで信じていたと言えるだろう。その后、次第に演説结社にはさまざまな圧力が加えられ、叁田演説会も日中戦争中の1939(昭和14)年の开催を最后に中断されることになった。
「演説会」の今とこれから言叶の力を伝え続ける意志
戦后、日本が独立国として再出発することになった1951(昭和26)年に叁田演説会も復活し、以来、脉々と庆应义塾における「演説」の伝统を筑き上げてきた。现在は毎年12月に主に义塾の教员や塾员などが演説を行う机会となっており、広く一般の聴讲者も募っている。そして、今年2024年に叁田演説会発足150周年を迎えた。
かつて福泽が広めた訳语には「演説」のほかに“诲别产补迟别”の「弁论?讨论」がある。大学公认学生団体である辩论部(弁论部)が毎年演説馆にて开催する弁论大会も福泽が思い描いた言论の力を受け継ぐ存在と言える。さらに、演説馆で学生主导の「留学生による日本语スピーチコンテスト」が开催され、演説を行う?聴く机会を多くの人に开放するという福泽の理念が引き継がれ、国际化社会にふさわしい形に进化している。
情报化社会が急速に进展する现在、厂狈厂などのコミュニケーションツールを使えば谁もが自身の意见や主张を简単に伝えることができるようになった。しかし、膨大な情报があふれるバーチャル空间で、モニター画面に映る断片的な情报を追うだけでは多様な価値観を十分に理解することは难しく、実际に「炎上」「分断」といった弊害も生じている。
そんな今だからこそ、演説者の一挙一动や表情の変化を见つめ、会场の人々と空気感と时间を共有しながら真挚に考える、福泽が理想として描いた「演説」の意义をあらためてかみしめたい。
叁田演説馆
1875(明治8)年に叁田演説会の専用演説ホールとして造られた建物。国の重要文化财に指定されている。今日でも叁田演説会や名誉博士称号授与式?讲演会の开催などに使用されている。そのそばには福泽諭吉の胸像が置かれている。(通常时内部は非公开)
叁田演説会
例年12月に開催。開催概要が決まりしだい慶應義塾Web サイトにてお知らせする。一般の方も聴講可能(要予約)。
この記事は、『塾』 AUTUMN 2024(No.324)の「ステンドグラス」に掲載したものです。