2021/10/20
2021年、芝?新銭座にあった庆应义塾が叁田に移転して150年を迎えた。『広辞苑』の「叁田」の项には「①东京都港区の一地区。芝公园の南西に当たり、庆应义塾大学がある。」「②庆应义塾大学の通称。」とあり、今や「叁田」は一地名を超えて庆应义塾の代名词として定着している。今回は明治维新という転换期に挙行された庆应义塾「叁田移転」の経纬を振り返る。
庆应义塾発祥の地の碑
新銭座で近代私学としてスタートした庆应义塾
1858(安政5)年、福泽諭吉が庆应义塾の元となる兰学塾を开いたのは江戸の筑地?鉄砲洲にあった中津藩奥平家の中屋敷内だった。现在の东京都中央区明石町、圣路加国际病院の辺りと考えられている。当时は塾の规模も小さく、その后10年の间に芝?新銭座(现在の东京都港区浜松町付近)と筑地?鉄砲洲を行き来する。
2度目に新銭座に移ったとき、世は维新改革の真っただ中で、庆应义塾も组织机构や教授法などを一新。近代私学の先駆けとして新たなスタートを切った。「庆应义塾」という塾名もこのときの元号から取られ、名実ともに义塾の歴史の出発点と言えるだろう。
では、それがなぜ数年后に「叁田」に移転することになったのだろう?
叁田の移転候补地は眺望の良い岛原藩邸
発端は1870(明治3)年に福泽が発疹チフスにかかったことにある。福泽は新銭座の地が「何か臭いように鼻に感じる。また事実湿地でもあるから、どこかに引き移りたい」(『福翁自伝』)と考えるようになった。
幸い病気は全快したが、当时は入塾希望者が増加しており新銭座の塾舎が手狭になっていたので、移転计画はその后も进められた。最终的に叁田にある岛原藩中屋敷を移転候补地に选定。当时は丘の上から海もよく见え、「高燥の地で海浜の眺望もよし」であったことも候补地となった理由の一つだった。
明治政府の発足により、当时诸国の大名の江戸藩邸は一つを残してあとは政府に纳めることになっていた。また、折しも东京府から福泽に対して従来の巡逻(じゅんら)制度を西洋风の警察组织に改めるための诸外国制度の调査の依頼があった。そこで东京府にも働きかけるなど福泽自らが先头に立って奔走し、同年11月、东京府から正式に岛原藩上げ邸1万1856坪の借用の令书が下された。その后、土地は庆应义塾に払い下げられている。
移転は1871(明治4)年3月のことだった。新銭座に比べ敷地は30倍、建物は5倍という広大さで、庆应义塾は当时最大规模の私塾となった。以来、ますます近代私学としての阵容を整备していくことになる。また、『学问のすゝめ』『文明论之概略』といった福泽の代表的な着作も叁田移転后に相次いで発表されている。亡くなるまでの约30年间、福泽は叁田に住み続け、教育と着述活动を展开。庆应义塾=「叁田」は新しく生まれ変わる日本の知的中枢として脚光を浴びることになった。
叁田移転の日を开校记念日と定める
1909(明治42)年に庆应义塾の开校记念日(4月23日)が制定された。この日付は、一説には叁田に移転した日を旧暦から现在使われている太阳暦に换算したものと言われている。
同年5月に発行された『庆应义塾学报』を见ると「庆应义塾が芝新銭座より现今の叁田2丁目に移転したるは、去る明治4年4月23日(旧暦にて3月23日)なれば、义塾にては本年より毎年此日を开校记念日として、休校の上、様々有益なる催しをなす事とし、同时に従来毎年9月に行ひし寄宿舎记念祭をも同日に行ふ事となせり」とある。また福泽が発行する『时事新报』(同年4月22日付)でも庆应义塾の开校记念日制定について报じ、その日に讲演会、展覧会、园游会が挙行されるとある。
このことより当时も、叁田移転が庆应义塾にとって大きな飞跃に向けたマイルストーンであったと认识されていたことがうかがえる。
庆应义塾移転により大きく変わった叁田の街
叁田に移転した明治初期は、叁田台地の旧大名屋敷が、华族、政治家、富豪などの邸宅地に変わりゆく时期だった。叁田は间近に海が见える眺望の开けた高台で、自然が豊富に残る、昼间でも森闲とした场所であったと伝えられている。
庆应义塾移転后、元の叁田1?2丁目(现叁田2丁目)に学生を相手にした书店、饮食店、文房具店、洋服店などが次々とでき、学生街として発展していく。以降、叁田通りに面した一帯は叁田周辺で最もにぎやかな场所となった。
1903(明治36)年には近くに纲町运动场を开设し、11月に日本の野球史上特笔すべき第1回早庆戦が开催された。翌年には叁田通りに路面电车が开通。「庆应义塾前」停留所が设置され、路面电车は地域住民や塾生の足として亲しまれた。
现在は叁田通りを中心に高层オフィスビルが立ち并ぶ一方、庆应义塾の中等部や女子高等学校、さらに外国公馆や神社仏阁などが点在。庆应义塾とともに刻んだ150年の歳月の中で、叁田の街并みも独特の趣を育んできたと言えるだろう。
この記事は、『塾』SUMMER 2021(No.311)の「ステンドグラス」に掲載したものです。