2022/11/25
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云(い)へり」という有名な一节から始まる『学问のすゝめ』は福泽諭吉の代表的な着作で、明治初期のベストセラーでもある。その「初编」の発行は1872年であり、今年でちょうど150年。そこで『学问のすゝめ』刊行の経纬と意义、当时の反响などについて振り返ってみたい。
学校向け小册子から始まる『学问のすゝめ』の成り立ち
『学问のすゝめ 全』と题された「初编」初版本(福泽研究センター提供)
『学问のすゝめ』は当初から一册の书物としてまとめる构想で着述されたわけではなかったようだ。もともとは明治5(1872)年2月から同9(1876)年11月にわたって断続的に出版された17の小册子で、同13(1880)年7月に福泽自ら合本し、一册にまとめたものが现代の私たちが知る『学问のすゝめ』である。
同4(1871)年、福泽は郷里の中津(现?大分県中津市)に英学校设立を勧め、同年11月に中津市学校が开设された。『学问のすゝめ』は、福泽がこの市学校で学ぶ青年に向けて新しい学问の在り方を説いた読本だった。题笺(书名を记した短册状の用纸)は『学问のすゝめ 全』となっており、当初は続编を出す意図はなかったと考えられている。
しかし、新しい时代の幕开けを高らかに宣言したその内容が世间で大きな反响を呼び、およそ2年后には続编の「二编」が刊行されることになった。その时点で『学问のすゝめ 全』は「初编」と位置付けられた。
福泽自身、合本の序文で「読书の余暇随时に记すところ」を発表したもので、「前后の论脉相通ぜざるに似たるものあるを覚」えると述べている。しかし当时の読者はそこに国民一人一人の「独立の気力」を奋い立たせる明确なメッセージを読み取っていた。福泽が谁にでも読みやすいようにと平易な文章を心がけたこともあり、小学校の読本としても利用され、『学问のすゝめ』で学んだ青少年たちが、やがて近代化を进める日本の国づくりを支えていくことになった。
外国书の思想を咀嚼して歯切れの良い日本语で表现
『学問のすゝめ』の成立を検討していく上で見逃せないのは、さまざまな外国書の影響である。例えば、八編にはフランシス?ウェーランドの『修身論』が引用されるほか、各編にもウェーランドを下地にした叙述が散見される。また、十四編にはベンジャミン?フランクリンの名が挙げられ、十五編にはジョン?スチュワート?ミルの『婦人論』が引用されるなど、随所に外国書の影響が感じられる。初編冒頭の「天は人の上に人を造らず……」に関しても、アメリカ独立宣言やジョン?ヒル?バートンの『ポリティカル?エコノミー』を経由して福澤が学んだ「天賦人権」の思想の表明で、独立宣言の中にある「All men are created equal」がその“原文”ではないかともいわれている。
しかし『学问のすゝめ』は决して西欧思想の単なる翻訳绍介ではない。数々の外国书に书かれた思想を福泽自身が十分咀嚼した上で、时代の変革期にある日本の読者に向けて歯切れの良い日本语文で投げかけた独自のメッセージとなっている。150年たった今も、多くの日本人が「天は人の上に人を造らず……」を口ずさんでいるという事実が、そのことを証明しているのではないだろうか。
また今日、『学问のすゝめ』は英语だけでなく、中国语、フランス语、韩国语、タイ语、インドネシア语、モンゴル语などの翻訳本も刊行され、世界に感铭を与えている。
ベストセラーゆえに「偽版本」に悩まされる
では、明治の大ベストセラー『学问のすゝめ』はどれくらい売れたのだろうか? 合本の刊行年(1880年)に福泽自身が试算したところ「凡(およ)そ70万册」が発刊され、「初编」だけでも偽版本含め「22万册」を数えたという。当时、日本の人口は约3500万人で、読书人口も少なかった时代であることを考えると、これは惊异的な数字といえる。
『学问のすゝめ』の评判に伴って、全国各地で「偽版本」も多く作られた。当时の日本にはまだ着作権の概念がなかったためで、これには福泽も大いに头を悩ませていた。実は福泽自身が庆応3(1867)年に『西洋事情』で着作権を「コピライト(肠辞辫测谤颈驳丑迟)」として绍介しており、『学问のすゝめ』を执笔している顷から、着作権当事者として明治政府に出版条例の厳正な适用などをねばり强く求め続けた。その结果、明治8(1875)年の出版条例に「版権」の语が织り込まれ、ようやくわが国にも着作権の概念が広く知られていくことになる。
「偽版本」が出るほど『学问のすゝめ』がポピュラリティを获得した要因の一つは、福泽の平易で歯切れの良い文章だった。今は気軽に読める「现代语訳」も复数刊行されている。出版150年をきっかけに、あらためて「现代语訳」版と共に原文に亲しみ、明治の息吹を感じてみてはいかがだろうか。
この記事は、『塾』SPRING 2022(No.314)の「ステンドグラス」に掲載したものです。