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慶應義塾

分断と紛争が頻発する国際情勢の中 グローバルな「人の移動」を全力でサポート

卒业生 望月大平君(法学部卒)

2024/10/15

望月大平(もちづき だいへい)/国際移住機関(IOM:International Organization for Migration)駐日代表
2001年法学部法律学科卒業。学部卒業後、米国シラキュース大学マックスウェル行政大学院で国際関係学修士号を取得。国際NGOスタッフとしてスリランカなどで活動後、JPO(Junior Professional Officer)派遣制度によって国際移住機関(IOM)のアフリカ南部のジンバブエ事務所に赴任。その後、紛争下のソマリア、さらにイラクでの緊急人道支援に携わり、スイス?ジュネーブのIOM 本部で政策調整業務や全世界の事務所との情報共有システムの構築などに取り組む。2020年9月より現職を務め、今年7月末にミャンマー事務所代表に就任予定。

ニュージーランドで感じた「日本人である自分」

-少年时代からラグビーに热中し、高校はニュージーランドに留学されました。

望月:父から勧められて小学校3年ぐらいからラグビーを始めました。ラグビーの面白さは15名のメンバー一人一人の个性を生かしてゲームを组み立てるところです。ラグビー选手と言えば大柄なイメージがありますが、体が大きくなくても十分役割を果たせるポジションが用意されています。ラグビーを始めてラグビー王国ニュージーランド代表「オールブラックス」に憧れるようになりました。以来、両亲には「ニュージーランドに行きたい」と言い続け、両亲から全面的にサポートを受け、高校から留学しました。

-英语でのコミュニケーションに苦労しませんでしたか。

望月:中学生になってからは意识的に英语の勉强に取り组んでいましたが、留学先では最初の顷は通じなくて戸惑うことも多かったです。ただ自分が言いたいことを主张しないと生き抜いていけない世界でしたから、悪戦苦闘し次第にコミュニケーション力が身に付きました。高校のラグビーチームには1军から4军まであり、2年生からは1军で対外试合に出られるようにもなりました。自校の応援団からは热烈な応援がある一方、相手チームからは激しいやじの标的になることもしばしばでした。当时はまだアジア人差别が根强く残り、チームメイトでも私が1军の试合に出ることを快く思っていない人もいました。いくらコミュニケーションができても「日本人である自分」を変えることはできない。そんな苦い思いをかみしめながら、一方でマイノリティの気持ちや立场について考える体験ともなりました。当时は自分が国际机関で働くことなど想像していませんでしたが、今思えばこのニュージーランドでの日々が私の原点だったのかもしれません。

大学?大学院で纷争解决法を研究し海外のフィールドで経験を积む

-高校卒业后は、庆应义塾大学法学部に进学されています。

望月:ニュージーランドでは自分が日本人であることをあらためて意识させられました。そのまま现地の大学への进学も考えたのですが、同时に自分が日本について知らないことが多いと思い至り、あえて日本の大学への进学を决めました。人种差别やマイノリティへの问题意识を深めたかったこともあり、法学部を选びました。ラグビーも体育会所属団体庆应叠.驰.叠ラグビーフットボールクラブで4年间続けました。大学时代のラグビーは真剣ながらも楽しんで取り组んでいましたね。学部では民事诉讼法がご専门の叁木浩一教授(现名誉教授)のゼミに所属し、卒论では裁判外纷争解决(础顿搁)制度について书きました。

ゼミでの集合写真

-その时点ですでに国连机関などへの就职を意识されていたのですか。

望月:いえ、まだ明确な进路は想定していなかったです。同期のゼミ生の8割以上が司法试験を目指していましたが、私は法曹に进むつもりはありませんでした。先生に进路を相谈したところ、なぜか国会议员の运転手のアルバイトを绍介されました。ゼミ合宿で先生の运転手を务めたことがあり「キミ、运転上手だね」と褒められたことを思い出しましたが、先生がどういう心积もりだったのかは正直よくわかりません。ただこのアルバイトが私にとって一つの転机となりました。运転だけでなく、事务所のお手伝いもしました。まさに政治の最前线を自分の目で见る贵重な体験となり、グローバルな仕事がしたいと意识するようになりました。大学卒业后、2001年に国际関係学の分野で定评のある米国シラキュース大学マックスウェル行政大学院に进学しました。国际的な纷争解决法について学びましたが、その年の9月にはいわゆる「9?11米国同时多発テロ事件」が起きました。世界各地から集まっている学生の间でも议论が繰り広げられ、国际情势の大きな転换を肌で感じることになりました。

-大学院修了后はどのような进路を选ばれましたか。

望月:国連の事務次長や事務総長特別代表を歴任された明石康さんが設立したNGO「日本紛争予防センター(現REALs)」職員として、スリランカ事務所で働くことになりました。スリランカは多民族?多宗教が混在する国で、当時は政府とタミル人の独立派組織が激しい内戦を繰り広げていました。私はプログラム?オフィサーとして若者を中心とした民族融和事業などを1年半ほど担当。その後はウィーンの日本大使館で旧ユーゴスラビア諸国への経済協力に関する専門調査員としても働きました。しかし、将来のキャリアを考えこのまま短期契約職員として働き続けることは難しいと思い、外務省が実施しているJPO(Junior Professional Officer)派遣制度に応募しました。これは国際機関等の正規職員を志望する若い日本人を対象にした制度で、日本政府が経費を負担して一定期間(原則2年間)各国際機関で職員としての知識と経験を積む機会を提供するものです。その間の実績などが評価されると、期間終了後に正規職員として採用され道が開かれる制度で人気が高く、実は私も3度目の挑戦でようやく採用されました。派遣先に国際移住機関(IOM)を志望したのは、専門調査員として働いているときに、国への提言から移民に身近なところまで人権に基づく「人の移動」に幅広く携わるIOMの活動に関心を抱いていたからです。

闯笔翱で派遣されたジンバブエにて

-滨翱惭とはどのような组织ですか。

望月:1951年に前身となる组织が设立された世界的な人の移动の问题を専门に扱う国际机関です。もともとは独立した组织でしたが、2016年からは国连の関连机関となっています。纷争や自然灾害などによる避难民の支援、纷争地域などでの出入国?国境管理能力の强化、さらに环境?気候変动などに起因する人の移动に対する支援も行っています。また、そうした活动を通してグローバルな人の移动に関する调査?研究や情报発信、地域协力や政策提言なども行っています。

私が最初に派遣された国はアフリカ南部のジンバブエでした。当时のジンバブエはハイパーインフレーションによる深刻な経済危机の最中にありました。本来は豊かな农业国でしたが、英国の植民地时代に白人が経営していた大规模农地を当时の独裁政権が强制的に押収し、そこで働いていた农民たちが大量の国内避难民となってしまいました。滨翱惭では政府と交渉し、现地スタッフと协力しながら食料や生活必需品の紧急支援のほか保健?卫生対策などを进め、将来的には避难民が地元コミュニティーで生活できるよう持続的な支援を続けていきました。その间、私は滨翱惭の正规职员として採用されることになり、ジンバブエ事务所では4年ほど仕事をしました。政情不安や経済危机など多くの问题を抱えた国でしたが、私はこの国の豊かな自然风土が好きでした。意外と过ごしやすい気候で日本と同じく四季もあります。

纷争国や本部勤务を経て滨翱惭驻日代表に就任

-ジンバブエ以外にも、赴任されたのですか。

望月:その后は続けてソマリア、イラクに赴任することになりました。ソマリアではテロが频発していたため、隣国のケニアの事务所から通い、纷争や自然灾害の被害者?被灾者の支援、若者や戦争未亡人への职业训练などの仕事をしていました。

IOM ソマリア事務所勤務時代(2012~2015年)

イラクに赴任时はいわゆるイスラム国(滨厂滨厂)との戦乱で多数発生した国内避难民の支援を担当しました。このときの避难民は数十万人规模となり、それだけの人数を受け入れるキャンプを作り运営していくことは大事业で、私にとっても最大のプロジェクトでした。その后、自ら希望してスイス?ジュネーブにある滨翱惭本部に勤务します。支援の现场で仕事をしてきたこともあり、组织マネジメントについての経験を积みたいと考えたのです。

-2020年9月に滨翱惭驻日代表に就任されました。

望月:日本の事务所は40年ほど前のインドシナ危机で発生した难民の保护と第叁国への再定住を支援するために开设されました。现在は重要なドナー(援助供与)国である日本政府との良好な関係をさらに强化する活动のほか、帰国の意思を持ちながら、経済的な理由などでその愿いを果たせずにいる移民に対しての自主的帰国支援、日本への定住を希望する难民の第叁国定住支援、さらに移住労働者の権利を守るために公司の人事部门などと连携した研修活动なども行っています。驻日代表になってからは久しぶりの日本での生活も楽しんでいます。妻が福岛県の米作农家出身なので、田植えや稲刈りシーズンには农作业の手伝いをしています。妻はジンバブエではいろいろな野菜を作っていました。赴任先の生活に适応してくれた彼女の协力があったからこそ、私はこれまで仕事を続けてこられたのだと感谢しています。実は次の赴任先はもう决まっていて、今年7月末にミャンマー事务所代表に就任予定です。

-滨翱惭职员として仕事をする上で大切にしていることは何ですか。

望月:やはり现地の人々の生活や文化をしっかり把握することだと思います。マイノリティの気持ちについても「もし自分がその立场だったら」と考えてみることが大切でしょう。また、治安が不安定な任地では、常に紧张感の中で仕事をすることになりますので心身の自己管理能力は重要です。私もソマリア时代には、知らず知らずのうちに体力的?心理的なダメージを受けていました。

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-最后に塾生へのメッセージをお愿いします。

望月:世界各地で长期の纷争が続く现在、インターネット上にはフェイクニュースが氾滥し、异なる立场や考えを持つ人たちの「分断」が深刻化しています。若い塾生にはぜひエビデンスに基づく情报リテラシーを身に付けてもらいたいと思います。移民など弱い立场の人々がこうした悪质なフェイクニュースの标的になりやすいことも知っておいてください。海外で起こっている纷争や移民に関する课题は决して「人ごと」ではありません。皆さんの生活や未来にも関係しています。そして视野を広げるためにもできる限り多くの人と出会い、话をして、できれば自分がマイノリティとなる场にも身を置く体験もしておいてほしいと思います。それが皆さんの未来の可能性をきっと大きく広げるはずですから。

-本日はありがとうございました。

この記事は、『塾』SUMMER 2024(No.323)の「塾員山脈」に掲載したものです。