2024/05/28
「人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが医道の基本である」庆应义塾大学初代医学部长?病院长を务めた北里柴叁郎博士は『医道论』にそう记した。その言叶通り、庆应义塾は医学部创立时から「予防」の重要性を认识し、社会への普及を目指してきた。今回は、庆应义塾大学予防医疗センターの麻布台ヒルズへの拡张移転(2023年11月)を期してあらためて庆应义塾の予防医疗の歴史をひもといてみる。
信浓町キャンパスに掲げられている福泽諭吉と北里柴叁郎の肖像
师から受け継いだ「健康」维持への思い
「予防医疗」とは病を未然に防ぐ「健康」な人を対象とした医疗を指す。医学用语として「健康」という言叶を最初に使ったのは、幕末の兰学者?绪方洪庵とされている。大坂?适塾で洪庵に师事した福泽諭吉は明治以降、その言叶の普及に大きな役割を果たした。1866(庆応2)年に出版した着书『西洋事情初编』で初めて「健康」という言叶を使い、その后もベストセラーとなった『学问のすゝめ』をはじめとする着书で「健康」を多用。文明开化の流れの中で福泽は日本人の日常に「健康」の大切さを浸透させた。
福泽自身も自らの健康维持に余念がなく、居合、米捣き、散歩という日课を欠かさなかった。子どもの养育については「先ず獣身を成して后に、人心を养え」と説き、自身の子どもたちには上等な衣服よりも滋养のあるものを食べさせることを优先させている。明治以前の日本人がほとんど口にしなかった牛肉や牛乳を栄养?健康面での客観的な里付けをもって普及させたのも福泽で、さながら「健康」のオピニオンリーダーとも言える存在だった。
「予防医疗」先导者としての福泽諭吉と北里柴叁郎
ドイツ留学中に破伤风菌の纯粋培养や血清疗法の开発で世界的な名声を博した北里柴叁郎博士。1892(明治25)年に帰国后、福泽は北里博士の伝染病研究に协力や助言を惜しまなかった。北里は福泽の恩に报いるべく、庆应义塾大学医学部の设立に尽力。初代医学部长?病院长を务め、福泽の死后もその発展に力を注いだ。福泽と北里は医疗における「予防」を重视する点で一致した考えを持っていた。北里の演説原稿をまとめた『医道论』には病は未然に防ぐべきものであると记されており、「摂生は本にして治疗は末なり」と诉えて、日本の公众卫生の向上と普及に多大な贡献をした。
现在も信浓町キャンパスの一角にあるレトロムード漂う予防医学校舎は1929年の竣工。この校舎には予防医学、公众卫生学、寄生虫学の各教室が设置されたが、北里博士の信念でもあった予防医学を标榜した教室は国内初で、医学の将来を见据えた试みだった。北里博士はこの予防医学教室を夸りに思っていたと伝えられる。
予防医学校舎を命がけで守った人々
予防医学校舎敷地内に、现在も六角形の焼夷弾の痕が残っているのをご存じだろうか。1945年5月24日未明の空袭时のものと考えられ、当时は主要な建物が木造だったため、医学部?病院は総建坪の约3分の2を焼失した。上空から无数の焼夷弾が降る中、看护师を中心に重軽症合わせて180名の入院患者全员を无事に退避させ、学生たちは鉄筋コンクリート造りの予防医学校舎や北里记念医学図书馆の屋上で焼夷弾を消しては投げ捨て、建物を守った。当时の医师、看护师、学生たちのこうした命がけの奋闘のおかげで现存する予防医学校舎。古いながらも独特の威厳を放つその存在感は、庆应义塾の医学教育?研究が大切にしてきたものを言外に物语っている。
一人一人の人生と共に歩む「未来型予防医疗」を目指す
病気の有无を调べる「検诊」は予防医疗の手段の一つ。庆应义塾大学病院の検诊の歴史は1966年开设の财団法人庆应がんセンターによるがん検诊から始まり、4年后には财団法人庆应健康相谈センターを设立し、人间ドックもスタートさせた。2012年には大学病院内に「予防医疗センター」を开设。2023年11月、同センターはさらなる予防医疗の発展を目指し、麻布台ヒルズに拡张移転し、予约枠の拡大や最新医疗机器の导入など医疗サービスの质向上を図っている。
大学病院がある信濃町キャンパスから今回「街」へ出ていく決断をした大きな理由は、Green & Wellnessの二つを柱に 「Modern Urban Village」をコンセプトに掲げる「麻布台ヒルズ」が、慶應義塾が目指す未来型予防医療の舞台にふさわしいことだった。今後、慶應義塾と麻布台ヒルズプロジェクトを展開する森ビル株式会社のパートナーシップにより、予防医療センターを中心にフィットネスクラブや飲食店などとも連携して、街全体で一人一人の健康をサポートしていく。また慶應義塾と森ビルによる共同研究講座を開設。多様なライフステージにおける健康課題を把握し、ウェルネス、ウェルビーイングに関する研究成果を広く社会に還元していくことにより、予防医療のさらなる学際的な発展を図る。麻布台ヒルズという新たなステージを得て、慶應義塾の予防医療への情熱は、世紀を超えて次の100年に受け継がれていく。
この記事は、『塾』 WINTER 2024(No.321)の「ステンドグラス」に掲載したものです。