文学部仏文学専攻 荻野安奈教授
2016/06/13
荻野教授は仏文学の研究者でありながら、芥川赏の受赏経験もある作家、エッセイストとしても知られています。それだけでなく、落语家“金原亭驹ん奈”の名で二ツ目として高座に上がるなど、多种多彩な活跃をされています。その原动力はどこにあるのでしょうか。
フランス文学×落语
私の専门はフランス文学です。なかでも16世纪のラブレーなどのルネサンス文学なのですが、実际に作家としては日本文学になるわけで、正直言ってやりくり的には破绽していますよね(笑)。なんとかごまかしている感じですが、ただ、うまくいっている部分はというと、フランス语の綺丽な文语を読むことによって、书き手としての自分に栄养を与え続けられている点です。ただし时间という点では、苦労がありますが。
ラブレー自体、落语的侧面を持つ作家なので、落语をやるというのも研究の足しになるかなと思い、10年近くやっています。落语的侧面というのは、たとえば、落语の枕(前置き)でケチの话というのがあります。鰻屋の隣に住んでいたケチな男がいて、その男はずっと鰻の焼ける匂いでご饭を食べていました。その年の暮れになると隣の鰻屋から店员が来て匂いの代金を寄こせと言うのです。それに対して男は、お金をチャラチャラいわせて、お金の音で代金を払うという话です。
これがラブレーでは、西洋なので焼肉の话になります。现代でいうケバブ屋台のようなもので、そこから流れてくる香りがあまりにも美味しそうなので人足がパンを食べていたら、食べ终わるのを见计らって店の店主が香りの代金を払えと言います。そこでは喧哗になる寸前で、有名な道化が现れて审判を下し「それではお金を寄こせ」と言うので、人足はやはりお金を取られてしまうのかと思ったら、道化が财布をチャリチャリさせてお金の音で払って一件落着といった话です。场所や时代は违えども、そういう同じオチの话があります。実际に去年、ソルボンヌで开かれたラブレーの学会で、この落语を演じて大喝采を受けました(笑)。
庆应义塾で学ぶ
まず、庆应义塾大学とは自由な场所だということ。私にとっては、落语をやらせていただいたり、いろいろなことに手を出しているのですが、こんな人间を置いてくれるというのは自由な学校だと思います(笑)。
それはさておき、私の所属する文学部には17の専攻があります。文学系だけでなく哲学や史学もあるし、社会学や心理学もあります。実験心理学などは本来であれば理系ともいえます。ですから文学部は本当に幅広くて、文系から理系までの诸层がいろいろな専攻によって体现されているということです。また、一口にフランス文学といっても、学びの内容はさまざまです。たとえば、文学を志向する人や、语学を中心にする人、文化的なものを中心にする人などがいます。
文学部自体が、裾野が広い上に各専攻も多様な学生を受け入れる体制になっていると思います。
庆应义塾创立时から福泽諭吉が大切にした「実学」というのも、経済、法律などだけではなく、文化を含めた人文科学までを意味するものだと考えています。人间の基本を学ぶということをしないと、どんな道に进んでも物事の捉え方の幅や行动范囲が狭くなってしまいます。
文学の科学的思考、科学の文学的思考
私たちは今まで、科学がどこまでできるかという可能性ばかり追求してきましたが、これからは可能性の限界を踏まえていかなければならないと思います。
たとえば、生命伦理という学问分野がありますが、自然科学や伦理学、哲学などさまざまな分野が协力しなければ成り立ちません。
だからそういう意味で学际的立场が重要になってくる。それは新しいことではなくて、実はルネッサンス(フランスでは16世纪)というのは、文系理系といった隔たりが无い时代でした。私が専门としているラブレーも医者であり修道士であり、そして作家であったわけです。修道士として人の心をケアし、医者として人の身体をケアする。さらにそれだけに留まらず、百科全书的な知识を求めたわけですけれども、それは人间の身体は小宇宙であるという考え方からきています。大宇宙(精神)と小宇宙(身体)のどちらの知识も大切にするべきだという発想があったわけです。近代を経て、また再びそういう発想が必要になってきたのではないかと考えています。
どういうふうに人間は立ち位置を定めるべきなのか、狭隘なものの見方ではなくて、多角的なものの見方で、寛容な精神を持つことが求められているのだと思います。 今の文学部には、やはり最先端の科学への目配せが必要ですし、今の理系には文学的な感性が不可欠であると思います。文学というのは人文学であって、ヒューマニズムの精神が生きているところ、つまり人間とは何かということを時代に問い続ける場なのです。
<取材后记>
軽妙な语り口の中に文学の本质を见出す。荻野教授のお话の中に、新しい文学部のあり方への道筋が确実にあると感じました。それは、庆应义塾が抱える学问领域の幅広さ、多様性を受け入れる懐の深さがあってこそ生まれる、新しい学问のかたちなのかもしれません。取材中、荻野教授はときに鋭く、ときに茶目っ気たっぷりに语り、话题はフランス文学や诗、落语から最先端の科学にまでおよびました。「庆应らしさとは“自由”そのもの」と言う荻野教授のおだやかな眼差しからは、常に知的好奇心を持ち、学ぶことを楽しむ大切さ、そしてその自由さや奥深さを学生たちに知ってほしいという思いが伝わってきました。
荻野安奈
1980年3月庆应义塾大学文学部卒业。1989年3月庆应义塾大学大学院文学研究科博士课程単位取得退学。
1991年『背负い水』で第105回芥川赏を受赏。2001年『ホラ吹きアンリの冒険』で第53回読売文学赏を受赏。2002年4月より庆应义塾大学教授(文学部)。2007年フランス教育功労赏シェヴァリエ受赏。2008年『蟹と彼と私』で第19回伊藤整文学赏を受赏。
海外歴:1978-1979年 パリ第三大学(慶應との交換制度による)、1983-1986年 パリ第四大学(仏政府給費留学)。
※所属?职名等は取材时のものです。