立科山荘は、長野県北佐久郡立科町、蓼科山の北西の女神湖に近い6万坪弱の広大な敷地に昭和48年に開設された。標高1,500m、八ヶ岳中信高原国定公園内に位置し、豊かな自然の中で勉強やスポーツができる校外施設で、5月から10月までの半年間開荘し、夏休み期間を中心に大学や一贯教育校のクラブの合宿や大学のゼミ、また初夏、初秋には、幼稚舎の高原学校などで使用されている。2017年4月現在、山荘全体の建物面積は約6,200㎡(1900坪弱)、宿泊定員は約200名である。
开设时に建设された主な建物は、中央栋、教室栋、宿泊栋(1号栋、2号栋、3号栋)で中央栋の食堂に一部鉄骨造が使われている以外は木造に钢板(トタン)を张った简易なつくりの平屋建てであった。その后、昭和53年に鉄筋コンクリート造の体育馆が建设され、平成6年には木造平屋の宿泊3号栋が鉄筋コンクリート造2阶建てに建て替えられた(平成8年に浴室栋を増筑)。体育馆前のオープンスペースには水回りを备えた东屋が平成9年に设置され、キャンプなどで利用されている。积雪や寒冷などの厳しい気候の影响だけでなく、闭荘期间中は人の手が入らない状态になることから施设の劣化が早く、建设后30年が过ぎた段阶で、大规模な改修が必要となった。平成18年から数年かけて宿泊1号栋、2号栋を中心に実施した内外装の改修は、建物の延命だけでなく、室内环境改善の効果もあり、利用者から好评であった。しかし、开设时からの建物は确実に老朽化が进んでおり、今后の课题である。
土地は立科町からの借地で、山荘施设建设に先立ち、昭和38年に借地契约を缔结し、翌年からグラウンドなどの仮整备が行われたが、その后、山荘建设が开始される昭和47年までの约9年间、高村塾长(当时)をはじめ、様々な方々が现地视察に访れており、この期间に本格的な利用计画について検讨が行われていたようである。
山荘付近にはスキー场もあり、建设当初、中央栋にはスキー利用のための乾燥室が设けられるなど、冬季の利用も想定されていたが、実际には冬季に利用されることはなかったようである。详しい経纬は不明であるが、当地の冬の环境が予想以上に厳しく、施设や运営が対応し切れないとの判断だったのではないか。
立科山荘へのアクセスは、开设当时、鉄道でも自动车でも、かなりの时间を要したが、平成5年に上信越道が开通し、平成9年に长野新干线(现北陆新干线)が开业したことで大きく改善された。この広大な自然に囲まれた教育环境は、义塾にとって非常に贵重な财产であり、有効に活用したい。
(管财部部长 繁森 隆)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。