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庆应义塾で长く爱唱されてきた塾歌とカレッジソングを绍介しています。演奏もお聴きいただけます。
富田正文の作词、信时洁の作曲により、1940(昭和15)年11月に完成したこの塾歌は、翌1941(昭和16)年1月10日の福泽先生诞生记念会当夜、叁田の大讲堂で発表されました。それ以来、式典などのたびに歌われています。
富田 正文 作詞
信時 潔 作曲
一、
见よ
风に鸣るわが旗を
新潮寄するあかつきの
嵐の中にはためきて
文化の护りたからかに
贯き树てし夸りあり
树てんかな この旗を
强く雄々しく树てんかな
あゝわが义塾
庆应 庆应 庆应
二、
往け
涯なきこの道を
究めていよゝ远くとも
わが手に执れる炬火は
叡智の光あきらかに
ゆくて正しく照らすなり
往かんかな この道を
远く遥けく往かんかな
あゝわが义塾
庆应 庆应 庆应
叁、
起て
日はめぐる丘の上
春秋ふかめ揺ぎなき
学びの城を承け嗣ぎて
执る笔かざすわが额の
徽章の誉世に布かん
生きんかな この丘に
高く新たに生きんかな
あゝわが义塾
庆应 庆应 庆应
「若き血」は1927(昭和2)年に、当时の予科会の学生たちが自らの意思で発议し、义塾出身の音楽评论家野村光一に相谈した结果、野村の推荐で堀内敬叁に作词作曲を委嘱したものです。従来の七五调や五七调を无视し、5?5?6?3の破调の字配りとなった新鲜な感覚のこの歌は、庆应义塾の代表的なカレッジソングとして歌い継がれています。
堀内敬叁 作词?作曲
若き血に燃ゆる者
光辉みてる我等
希望の明星仰ぎて此処に
胜利に进む我が力
常に新し
见よ精鋭の集う処
烈日の意気高らかに
遮る云なきを
庆应 庆应
陆の王者 庆应
平冈养一作词?作曲によるこの歌は、1947(昭和22)年に発表されました。ゆっくりとしたテンポの曲调で歌われる词は、叁田の山とそこに学ぶ若者たちの清新な姿、そして义塾を巣立った后もそこを故郷としていつも思い出す様子を映し出しています。六大学野球の神宫球场で、卒业生の集まりの场で、つねにこの歌は肩组みながら歌われています。
平冈养一 作词?作曲
一、
光あふるゝ叁田の山
我等が校庭に集いたる
希望に充ちし若人は
独立自尊の城南健児
我等が若き力以て
理想の祖国を打建てん
庆应 庆应 庆应義塾
その名讃えん我が母校
二、
栄えに辉く叁田の山
意気と力と热情の
血潮に燃ゆる男の子等が
今ぞ戴く覇権の冠
かゞり火映ゆる丘の上
凯歌を挙げん高らかに
庆应 庆应 庆应義塾
いざや讃えん我が母校
叁、
あゝ美しき叁田の山
第二の故郷叁田の山
共にむつみし几年は
心に永くとゞまらん
月去り星は移るとも
梦に忘れぬその名こそ
庆应 庆应 庆应義塾
永远に讃えん我が母校
闯础厂搁础颁许诺
第闯221236666号
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