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第187回福泽先生诞生记念会年头の挨拶
「キャンパスライフを取り戻すために」

2022年1月10日

庆应义塾长 伊藤 公平

新年あけましておめでとうございます。新型コロナウイルス感染症が再拡大する中におきましても、本日、福泽先生诞生记念会をこのように开催できましたことを大変嬉しく思います。本会には福泽家を代表して福泽武様、そして塾员を代表して评议员会议长の岩沙弘道様にご挨拶をいただき、また、记念讲演者として平石直昭様にお越しいただいております。ご多忙中、诚に有り难うございます。

「いつものとおり授业する」

さて、恒例のオープニング、幼稚舎生による「福泽諭吉ここに在り」の合唱はいかがだったでしょうか?ここに选ばれた幼稚舎生たちは、今日のステージに立つために何度も练习を重ねてきました。そして、この练习は、福泽先生の行い、考えを復唱する、ということでもあります。そうやって庆应义塾の精神を体に染み込ませてきたはずです。私がそのように断言できるのは、おおよそ45年前、私が幼稚舎生のときにこのステージに立ってその歌を歌ったからです。そのとき私は、「平等自由の世の中なんだ、だから、独立自尊の人にならなきゃいけないんだ」「世界に通用する日本を作らなきゃいけないんだ」「洋学の灯を消してはいけない。だったら英语の勉强しなきゃ、世界に出なきゃいけないんだな」と思ったことをよく覚えています。

そして、今からちょうど2年前、コロナが日本にも上陆する顷、「福泽諭吉ここに在り」の4番が私の头の中で何度も鸣り响くようになりました。

「芝と上野は八キロだ 上野に戦あればとて 芝新銭座は别世界 とどろけばとて弾丸(たま)は来ぬ いつものとおり授业する」

「いつものとおり授业できるんだろうか?」と考えたわけですが、何とかそのときは、庆应义塾はすぐにオンライン授业の準备を进め、教职员、そして学生たちも顽张ってくれて、オンラインで授业を続けることができました。しかしながら、オンライン授业は、私もやってみて何かしっくりこないところがあります。

念のために申し上げますと、私はオンライン授業をコロナ前から相当活用してきました。東日本大震災が発生した2011年、今から11年前に春雨直播app YouTube Channelというものを立ち上げたのです。今日の私の話、そして入学式、卒業式も春雨直播app YouTube Channelで配信されていますが、その頃のYouTubeというのは、10分以内の動画しか載せることができなかったんですね。

「ここに授业を载せるんですか?」と学生たちに言われたんですけど、「やってみようじゃないか」と始め、自分が行う授业を他の人に撮ってもらい、それをどんどん动画として公开していきました。さらに、宿题の解説、テストの解説、授业で难しかったところの解説などを一人で部屋で録画して、それを动画として公开してきました。

しかし、コロナになり、90分の実际の授业をオンラインでやるとなると、调子が出ないんです。一方、若手教员は最新のテクノロジーを駆使して、どんどんと素晴らしいオンライン授业を作っていきました。そして、コロナ発生からしばらくたった顷に大学全体にアンケートを取ると、1年生は「対面授业をしたい、学校に来たい」と言うのですが、上级生になればなるほど、オンライン授业の方が良いという人が増えていくんですね。これには私も相当戸惑いました。「学生たちはオンライン授业を望んでいるのに、なぜ自分はオンライン授业に纳得しないんだろう」と。それで、私のちょうど1年前の正月の仕事の目标の一つは、「オンライン授业の技术を向上させる」という具体的なものにまでなったんです。

「ライブ」が伝えるもの

それで再度仕切り直すために、まずは自分が学生时代に学んだ印象に残っている授业を復习することにしました。最初に头に浮かんだのは、理工学部1年生の时の伊藤雄二先生の数学の授业です。ノートもなしに、どんどん黒板に数式を书いていく。谁もノートをとるのが追い付かないんです。そして片端から数式を証明していく。気づいてみると、「x×0=0」の証明をしているんです。数字に0をかけたら0になるのは当たり前じゃないですか。それを美しく証明するのを见て、「数学者というのはこう考えるんだな」と私たち1年生はびっくりしました。そして、私たちの仲间の多くが数学の道に进みました。

やはり1年生の时に高木勇夫先生の地理の授业をとりました。一般教育科目でしたが、地形の不思议を次から次へと解き明かして研究者目线で私たちに教えてくれるんですね。すごい迫力でした。そして、期末レポートは自由に何でも选びなさいと言うので、私は、港区の坂をすべて歩いて、自分で等高线を书き、この地形のできた谜を解き明かすというレポートを、実は必修授业そっちのけで力を入れて书いたことをよく覚えています。

ですので、后に、乃木坂46というアイドルグループが出てきた时も、「あの乃木坂じゃないか」とすぐに地形が思い起こされるわけですね。「けやき坂?あれじゃないか」と。最近になって日向坂(ひなたざか)46が出てきた时は、そんな坂ないぞ、と思ったのですが、字を见ると、二の桥から纲町叁井倶楽部へと続く日向坂(ひゅうがざか)のことじゃないですか。だったらこの次は青木坂46かな、その次は幽霊坂46かな、蛇坂46かな?なんて胜手なことを思いながら一人で笑ってしまったりするわけです。

最后にもう一つの例ですが、3年生の时に矢上で受けた统计力学もすごい授业でした。何か年配の先生が、よく闻こえない小さい声で、みみずが这うような字を黒板に书いている。でも、それがすごい迫力なんです。教室中がそこに引き込まれている。何かすごいことを言っている人に违いない。それが実は后でわかったことですが、日本を代表する物理学者の久保亮五先生でした。ノーベル物理学赏をもらうべき先生だったと思います。

そう考えてみると、答えは明らかです。やはり授业はライブなのです。福泽先生のおっしゃる「スピイチ、演説」が基本なのです。先ほど平石先生とお话ししていたのですが、演説からは、読むだけではわからない、内在的なものが、会场の空気として、そして先生の実际の言叶として伝わってくるということです。

大教室の授业は教师が一方的に话すだけなんだから、オンラインで十分とよく言われますが、それは违うんです。昨年10月に他界された落语家、人间国宝の柳家小叁治师匠は、コロナ祸においても亡くなる5日前まで全国を行脚し、ひたすらライブを続けられ、その様子を狈贬碍のカメラが追っていました。寄席では小叁治师匠が一方的に演じているように见えてもそれは违います。会场が一体となって、小叁治师匠と観客の间に独特の间合いがあり、そして、観客が笑いと感动の涡に巻き込まれていきます。

最后に小叁治师匠が狈贬碍のカメラマンに向かって「ずっと追いかけてみてわかっただろう。俺は生きているだけなんだ」と言い放った场面では私は思わず唸りました。自戒も込めて、私たち教员もいつものとおり教室に立ち続け、学生たちに学问の感动を与え、その末に「ただ生きているだけなんだ」と言ってみたいものだな、と思った次第です(笑)。そして、その授业という场で出会う、まさに学びをともにする学生同士が、生涯の友となっていく。それが大学、高等教育机関というものだと思います。

キャンパスライフを取り戻すための努力

今年の4月からの春学期。庆应义塾大学では9割の授业が対面で行われる予定です。これは私や私たち执行部が示した方针によるものではありません。全学部を代表する教员たちが集まり、何度も会议を重ねた结论です。その教员たちの思いを実现するために、私たち执行部は、昨年、约5万人に及ぶワクチン职域接种を実施し、この春も庆应义塾において、3回目の接种となるワクチン职域接种を実施いたします。

また、希望する教职员や塾生にはいつでも无料で笔颁搁検査を受けられる体制を整えてきました。さらに、教室の换気状况を科学的に调査し、换気不十分の教室には换気设备を増强し、换気十分の教室においても颁翱2モニターを设置して安全を确保する準备も进めています。

学生たちも顽张りました。サークルや体育会が十分に注意をして活动を続けた结果もあり、昨夏の东京オリンピック?パラリンピック期间中の感染第5波の袭来にあっても、庆应义塾の感染者数は减少しました。庆应义塾には第5波は来なかったということです。この间、一贯教育校も顽张って授业を続けてきました。

この正月、ニューヨーク学院(高等部)は感染拡大で大変なことになっています。1月4日、ニューヨーク学院(高等部)の担当常任理事の土屋さんが駆け付け、庆应では、オンラインだけではなく実际の授业を大切にしていると、庆应スピリットを伝え、ニューヨーク学院(高等部)の教员たちを鼓舞してくれています。

先週、庆应义塾のホームページではアナウンスしましたが、残念なことに、年末に义塾のある体育会でクラスターが生じました。しかし、保健所が闭まっているなかにおいても、保健管理センターや医学部、病院、教职员、さらには执行部の一部が正月返上で、浓厚接触者相当を特定し、その部员全员の笔颁搁検査を実施して、感染拡大の防止に努めています。社会に迷惑をかけない、そして、キャンパスライフを取り戻すための最善の努力を尽くしています。

9割が対面授业というと、ただ単に昔に后戻りすると勘违いされがちなのですが、それが违うことをここで断言したいと思います。9割の対面授业の多くでは、ライブを大切にしながらも、最先端のオンラインツールを様々な形で活用し、新しい时代の授业のあり方を切り拓いていきます。私自身も、対面授业をこの春から行うことを楽しみにしています。その中ではオンラインツールを上手に折り込み、どうしてもコロナで登校できない学生などにも対応していきたいと思います。そして塾生たちには「やっぱりライブの授业は违う」と思ってもらえるようにしたいと思います。

「人间交际」はなぜ必要か

なぜオンラインだけではいけないのか。福泽先生は『学问のすゝめ』(九编)の中でこのように书かれています。

「交际いよいよ広ければ人情いよいよ和らぎ、万国公法の説に権を得て、戦争を起こすこと軽率ならず」

これは外交のことを指していると思うのですが、つまり、人と人との対话がしっかりとあれば、そう简単には戦争を起こせないということです。特に今はサイバーの时代ですので、戦争もゲーム感覚で、安全な场所からドローンを飞ばして、相手を杀伤するようなことができるようになっています。そうなると、今までの実际の戦争とは异なり、人を杀しているという感覚もないまま、人间社会が危険な方向に进み、终末を迎える危険もあるわけです。また、现在、ネット上で人を诽谤中伤するような事例がよくあります。これも実际に会っていれば、感覚としてわかるところを一方的に中伤を行い、社会が分断されていくことがあります。

このように知らない人同士の交际を大切にしよう、というのが福泽先生の人间交际で、これが学问だとおっしゃったわけですが、だからこそ、ライブとそれからオンラインの両方の活用を正しく进めていく必要があると考えているわけです。

毎年、庆应义塾大学出版会が出している「庆应カレンダー」は、2年连続して表纸の絵が昔の学校の授业风景です。このカレンダーは庆应が有するアートや贵重书の絵が毎月出ている、私たちが自慢するものですが、监修の名誉教授、元文学部长、元常任理事の関场武さんがこの表纸の解説と言いつつこんなことを书いているんです。「そもそも学校とは、生身の学生?生徒と教员?职员が日々颜をつきあわせ、勉学?部活等を含むキャンパスライフを通じて、知识のみならず人と人との付き合い方を身に付けて行く场です」。このように私たち后辈教员を叱咤激励してくださっています。大丈夫、后辈教员はよくわかっていますのでご安心ください。

ただ、いくら教员たちが対面での授业を希望したとしても、感染状况が悪い场合には、安全を最优先して、私たち执行部は対面授业を制限せざるを得ません。本日のこの会でも、2曲目のワグネル?ソサィエティーの男声合唱団とオーケストラが演奏する予定であった「日本の夸」は音源を再生するだけになりました。

今日はカレンダー上の正月ですが、学校にとっての正月は4月1日。そのスタートとなる入学式は日吉记念馆で执り行われますが、期待と希望に胸を膨らませた新入生が広いフロアを埋め尽くす中、いよいよ式が始まるという时に、毎年、ワグネル?ソサィエティー?オーケストラがワーグナーの歌剧「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の序曲を演奏します。

新年の访れを告げる序曲、黎明の鐘のようなものです。私は毎年、このワグネルのライブ演奏を闻いて、「いよいよ今年が始まるぞ、新入生が入ってきたぞ」と教员としての责任感を新たにしてきました。この2年间はコロナでワグネルによる生演奏が闻けていませんが、今年こそはと思い、しょっちゅうマイスタージンガーの音源を闻き、「この曲が4月1日に闻けますように」と、愿っています。

「庆应义塾のイントラプレナー」に

さて今回は、私にとって塾长として初めての年头の挨拶となりました。コロナ祸に鑑みて短めに収めるという観点から、例年のようなフォーマルな报告や抱负はあえて外し、大学の授业のあり方のみに焦点を当てました。塾の昨年の様子や成果、そして、これからの抱负等は、私たちが去年より始めています、庆应义塾ホームページの「塾长室だより」を是非お読みください。1月号も间もなく掲载されます。

そこでは、私の今年の目标として、この会场に集まっている庆应义塾の仲间たちと共に「庆应义塾のイントラプレナー(颈苍迟谤补辫谤别苍别耻谤)になる」と记しています。イントラプレナーとは闻きなれない言叶かもしれません。アントレプレナー、起业して社会を変えていく人たちに対して、イントラプレナーとは、自分の组织に所属しながら、その中で新しい事业を内部から始めていく、内部から変えていく人たちのことを指します。

もちろん慶應義塾では、アントレプレナーシップ、すなわちスタートアップ教育も進めていきますが、同時に、日本の企業、組織においては、イントラプレナーシップも大切だと考えています。 実は話はここで終わらず、イントラプレナーからインタープレナー、さらには人間交際とまだまだ続いていきますので、その続きは「塾长室だより」をお読みいただければと思います。本年もどうぞよろしくお愿い致します。

(本稿は2022年1月10日に开催された第187回福泽先生诞生记念会における伊藤塾长の年头挨拶をもとに构成したものである。)

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