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2024年3月25日
庆应义塾长 伊藤 公平
本日卒业の日を迎えた皆さん、ご卒业おめでとうございます。ご家族の皆様にも心からお庆びを申し上げます。本日卒业される皆さんの多くが2020年4月というコロナ祸の始まりに入学され、入学式も実施されず、遅れて始まった授业はすべてオンラインという大変な思いをされました。しかし、皆さんが2年生になると、ワクチンが届き、ここ日吉记念馆で「2020年度入学生の集い」が开催できるまで改善し、そして本日、ここ日吉记念馆において全学部一斉の卒业式を挙行し、人数に限りはありますがご家族にも、ここ日吉の丘にお集まりいただけることになりました。皆さんの忍耐と努力に加えて、ご家族のご理解に心からお礼を申し上げますとともに、教职员の仲间のここまでの努力を知っている立场として感谢の気持ちで一杯です。
さて、皆さんのこのように実におめでたい卒业にあたり、再度、庆应义塾の目的を确认したいと思います。
「庆应义塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模范たらんことを期し、之を実际にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先导者たらんことを欲するものなり」
そう、皆さんは「全社会の先導者」をめざして勉学に励み、課外活動に精を出し、生涯の友と出会ってきたのです。慶應義塾の「義塾」とは英国のpublic schoolの訳で、まさに公共の発展に尽くすという高い志をもった学生が集まる塾ということです。高い志を持ち続けること、理想を追求し続けることは、簡単ではありません。しかし人間だれにでも存在価値があります。だからこそ皆さん一人ひとりの志や尊厳は、人間社会において何よりも尊いものなのです。これが独立自尊の精神です。一人ひとりの存在意義を基点とするということは、民主主義の理想を追求するということです。先導者と聞くと、何か特別な立場の強いリーダーを思い浮かべる方がいるかもしれませんが、それは慶應義塾の考え方とは違います。家族、仕事、社会といった大きさの異なる集団がチームワークよく物事を正しい方向に進めるグループこそが先導者集団なのです。今日卒業される皆さんは、これからどのような職、どのような役割を得ていくとしても、独立自尊の先導者としてより良い社会を作っていく役目をそれぞれの立場で果たしていってください。
さて、2年前、ここにいらっしゃる皆さんの多くが3年生になった4月のことです。日吉キャンパスメディアセンター(図書館)の企画「教員のオススメ本」というものに私も参加しました。10冊の本を紹介したのですが、その中の一冊が、ニューヨークタイムズ紙の記者で、ピューリッツァー賞を3回も受賞したThomas Friedman氏の著書“From Beirut to Jerusalem”でした。日本語訳も出版されていて、その書名は『ベイルートからエルサレムへ:NYタイムズ記者の中東報告』です。アラブ?イスラエル戦争とそれに伴う大量のパレスチナ難民の発生や、イスラエルのレバノン侵攻に伴う現地の混乱を人間味あふれる文章で記した本です。イスラエルとその周辺地域の人種や宗教関係の複雑さや、そこに米国と欧州そして中東各国がからむことによる社会の混乱に私は衝撃を受けました。私がこの本に出会ったのが30年以上前、私が皆さんのように大学を卒業したばかりのときでした。それ以来、いつかThomas Friedman記者に直接会って話したいと願ってきたところ、その夢が今年1月のWorld Economic Forum(ダボス会議)で実現しました。ちょっと脱線しますが、皆さん、今、いろいろな夢を抱いていらっしゃいますよね。その多くが、ものによっては30年以上かかるかもしれませんが、これからの人生でどんどん実現していきますので楽しみにしていてください。
さてダボス会议での贵谤颈别诲尘补苍记者との话にもどります。贵谤颈别诲尘补苍氏は、これまでの彼の记者歴の中で、世界で起こった「一番嬉しかったこと」と「一番残念に感じていること」を绍介してくださいました。
「一番嬉しかったこと」、それは欧州连合(贰鲍)の発足だったそうです。贰鲍は1993年11月に「マーストリヒト条约」に従って创立されたもので、加盟国の间での経済?通货の统合、共通外交?安全保障政策の実施、欧州市民権の导入、司法?内务协力の発展など、大げさに言えば、まるでアメリカ合众国がもう一つできたような出来事でした。すごいことです。日本が韩国やタイやマレーシアなどと、共通の通货や経済圏を形成することは、なかなか想像できません。贰鲍が创设されたのは、ベルリンの壁とソ连が崩壊したすぐ后のことです。このころ、1990年の初めの顷は、フランシス?フクヤマによる“The End of History and the Last Man”(邦题:歴史の终わり)という本がベストセラーになったように、国际社会において民主主义と自由経済が胜利し、社会の発展と安定がずっと続くであろうという期待感が高まりました。そのような楽観的な状况にあったとは言え、欧州连合の结成という不可能と思われた仕事を成し遂げた関係者の志と実行力は想像を絶するもので、まさに先导者であったのだと思います。そして、このような连帯の重要性は、分断の时代を迎えている今こそ求められているものです。
次に贵谤颈别诲尘补苍记者が「一番残念に感じていること」を绍介します。それはマングローブの破壊だそうです。マングローブとは、特に热帯?亜热帯地域で、海水と淡水が混ざり合う海岸线に生育している植物群の総称です。海と川から豊富な有机物(栄养)が供给されるために実に多様な生物が生息し、二酸化炭素のものすごい吸収源であり、海水を浄化し、近海のタンカーから漏れた油や津波などから陆地を守る役目も果たします。まさに海と陆の间に位置する缓衝地帯なのです。このマングローブが人间の経済活动によってどんどん消えていっているのです。健全な地球环境を次の世代に手渡したいという贵谤颈别诲尘补苍记者の愿いがこもった発言でしたが、彼の话はここで终わりません。本来、自分达メディアの役割は、例えば、政治と国民の间に入って、正しい情报を抽出し、それらを的确かつタイムリーに受け渡しする浄化媒体であり缓衝地帯だと言うのです。それが厂狈厂の登场により政治と国民が直接の対话を始め、その间にはいる浄化媒体がないために、误った情报や人を意図的に操ろうとする情报も瞬时に流れるようになりました。事実に基づく正确な情报という拠り所を人々は失い、あおられ、分断が进むようになりました。このような缓衝地帯、浄化机能の消失はメディアだけの话ではありません。社会现象のあらゆる局面において、今は、缓衝地帯がなくなっています。学术界では専门性の深化により细分化が进み、异なる分野间での连携、すなわち、异分野同士をつなげる、高い视点からの研究が少なくなりがちです。产业界においては、グローバルスタンダードという名のもとで胜ち组が决める规制や规则が支配的になり、强者と弱者の差は开くばかりです。戦争や军事衝突が次から次に発生するのも、外交によって纷争を回避する仲介者や仲介国の役割、すなわち缓衝地帯が机能しなくなっているからです。そう、自然环境保护においても、社会の健全な発展においても、今ほどマングローブの役目が大切なときはありません。
このような考え方は「グローバルレベルでのみ大切」と思われるかもしれませんが、実は日本にこそ必要なことです。日本では従来「世间」を大切にし、近所付き合い、同じ体育会やサークル内での人付き合いや助け合いを重んじてきました。このようなインナーサークルでの人付き合いを、ここでは人间(にんげん)の交际と呼びましょう。その一方で日本人は自分のサークルの外の人の付き合いは軽んじがちです。知り合いでなければ无礼をしてもその场で终わるからです。福泽先生は、当时の西洋社会において、この知らない人同士、异なるサークル、会社、地域などが法や伦理観に基づき上手に结びつき、文明社会が形成されていく様子を観察し、その结果として成り立つ文明社会を「人间(じんかん)交际」と訳されました。気心が知れた仲间での交际は人间(にんげん)同士の交际で、知らないグループ同士が有机的に结びつき良い社会が形成される蝉辞肠颈别迟测を人间(じんかん)交际とおっしゃったのです。福泽先生は、自分が所属する世间やサークルの内侧を変えるという次元を一気に超えて、知らない村や町をつなぎ、文明的な社会、文明的な日本を作り上げようとされました。そのために、福泽先生は庆应义塾や时事新报(新闻)や交询社(社交倶楽部)を创设されました。さらに福泽先生は、西洋诸国が、现実においては常に胜ち组に居座ろうとする习性も见抜いていました。西洋を知れば知るほど手本とすべきことと、そうでないことが整理できてきたのです。そのうえで、「日本独自の発展は可能か?」もっと大きな问いとして、「非西洋国の近代化は可能か?」という大きな目标を掲げて、日本社会独自の発展のあり方を模索されました。西洋主导のグローバル化の中に、それ以外の近代国家のあり方を模索し、世界の中に真の多様性を导入されようとしたのです。言い方を変えると、福泽先生こそがさまざまな世间や社会制度を有机的につなげて社会を発展させるマングローブを大切にしたとも言えます。
本日は25年前に卒业された1999年叁田会の先辈たちがここ日吉记念馆に集まり、诸君の门出を祝ってくださっています。この先辈方は庆应义塾の目的を体现されてきた方々で本日の卒业生のお手本です。その先辈方が卒业した25年前の1999年は、まさに、欧州连合に新通货ユーロが诞生した歴史的な年でした。本日卒业される皆さん、25年后にここにホームカミングされたとき、「庆应义塾で学んで本当によかった」と振り返ってください。そして、25年间の自分达の努力と连帯によって、日本を、世界をより良いものにしてきたことに胸を张り、25年后の卒业生たちの旅立ちを一绪に祝ってください。そのことを私からお愿いして私の式辞といたします。ご卒业おめでとうございます。
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