1945(昭和20)年5月24日未明?25日、そして26日の2回にわたる米军爆撃机による空袭で、叁田キャンパスでは木造校舎のほとんどが焼失。塾监局や叁田演説馆などは焼け残ったが、庆应义塾のシンボルである炼瓦造りの図书馆旧馆は本馆部分の閲覧室と事务室、そしてステンドグラスなどが失われた。被灾に备え周囲の木造建筑物を撤去していたことや、教职员や学生による悬命の消火活动により书库は延焼を免れ、多くの贵重文献も疎开させており无事であったが、空袭の爪痕は大きかった。
戦后、1947(昭和22)年の创立90年记念式典において、创立100年に向け10年间を期した復兴への决意が掲げられると、まず着手されたのは図书馆旧馆の修復だった。1949(昭和24)年5月に工事は完了。この时点では透明なガラスが入っている状态だったステンドグラスも、1974(昭和49)年に復元された。
庆应义塾の戦后復兴の象徴ともなった図书馆旧馆は、その后も増改筑や改修工事を重ね、重要文化财としてその姿を今に伝えている。