ところで、お札の福泽の肖像のもとになった「精密な」写真とはどれだろう。アメリカで写真馆の少女と一绪に撮った有名な写真があるように、福泽は当时としてはかなりの写真好きだった。肖像のもとになりうる写真もたくさんある。そのなかで、一万円札の肖像の参考になったのは1891年顷の着物姿の写真。福泽や庆应义塾の写真をしばしば撮影していた江木写真店で撮ったもので、生前、「何かの际にはぜひこの写真を使うように」と指示していたほど、福泽自身もお気に入りの一枚だった。一时、洋服姿の写真も検讨されたが、结局は、教育者、启蒙思想家の风格がにじみ出ているこの写真に落ち着いた。
この写真はエドアルド?キヨッソーネという铜版画家により、铜版肖像画に起こされたと言われている。キヨッソーネはイタリアのジェノバ近郊の生まれで、明治政府の招きで来日し、纸币や切手に用いる铜版画制作に携わった。日本初の肖像入り纸币に描かれた神功皇后も彼の手になるものである。ちなみに铜版画の持つ繊细でまねのできない精巧さは、纸币の偽造防止の要だった。
キヨッソーネは、他にも明治天皇をはじめ、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩仓具视らの肖像をコンテ絵や铜版画で残している。私たちが知るこれら明治期の人物の风貌の多くは、キヨッソーネが描いたものなのである。その彼が福泽の铜版画を制作したのは、当时大蔵省に勤务していた庆应义塾门下生のはからいによるものだったそうだ。残念ながら、この铜版画の原版は失われてしまっているが、彼の指导で発展した日本の纸币印刷技术により、同じ写真をもとにした福泽の肖像画が、现代の一万円札に使われているのも兴味深い话である。