1969年、井筒は正式にマギル大学教授となり、庆应义塾大学教授を退任。マギル大学がイスラーム学研究所テヘラン支部を开设したことに伴い、イランの首都テヘランに移住した。王立アカデミー教授を経て、1979年のイラン革命によって日本に帰国。井筒の着作はほとんど英文で书かれていたが、帰国后は日本语での着述活动に専念。1993年に自宅があった鎌仓で亡くなるまで、『イスラーム文化-その根柢にあるもの』などの着书を残した。
井筒が鎌仓の家に残した旧蔵书コレクションは、现在、庆应义塾大学叁田メディアセンターに移管されている。その数は和汉书と洋书合わせて约1万册、アラビア语の资料は约3700册を数え、その中にはイラン国外でめったに见ることができないイラン石版本90点など非常に贵重な资料も含まれている。
庆应义塾大学文学部创设125年の2015年、文学部は西脇顺叁郎と井筒俊彦の师弟の名を冠した研究奨励赏を设置した。このうち「井筒俊彦学术赏」は、広大な学问分野と言语フィールドで不朽の実绩を残した井筒の名にふさわしく哲学、伦理学、歴史学、民族学考古学、図书馆?情报学、社会学、心理学、教育学、人间科学に及ぶ幅広いフィールドの新进気鋭の研究者に授与され、井筒俊彦のスピリットを受け継ぐ21世纪の硕学の诞生を応援している。