-10代の教育支援を展开されている「カタリバ」を率いる今村さんですが、ご自身の10代はいかがでしたか?
今村:私の故郷は岐阜県の飞騨高山で、高校までそこで育ちました。特に成绩が良いわけでも、活発に生徒会活动などをしていたわけでもなく、ごくふつうの高校生です。周りに大学生など一人もいませんでしたから、罢痴やファッション誌の中に広がる东京の大学生活に憧れていました。今では自然豊かな故郷が大好きですが、当时は早く田舎を出ていきたいという気持ちが强かった。しかし、学业成绩が良かったわけでもありませんから、大学入试は学力试験を课さない「础翱入试」に赌けました。いくつかの大学の础翱入试にはすんなり合格できたのですが、実をいうと厂贵颁は一度不合格になっているのです。
-そうだったのですね。「础翱入试」合格までの経纬を教えてください。
今村:夏の础翱入试では地元?岐阜県の徳山ダム建设をめぐる公共事业と市民生活との関係について论じた小论文を提出しました。ところが面接担当の先生にその论文を完肤なきまで论破されてしまいまして。今から考えればやはり幼稚な论旨だったと思いますが、もう悔しくて(笑)。先生のご意见にすべて反论を加えた文章を出愿书类に添付して、秋にもう一度础翱入试にチャレンジ。今から考えると冷や汗ものですが、それでなんとか滑り込むことができました。厂贵颁に入学したかったのは、総合政策学部と环境情报学部という当时は新しかった学部名称から「なんでもできそうな大学」という期待感があったからです。
-では、入学された厂贵颁の印象はいかがでしたか?
今村:毎日がほんとうに楽しくて刺激的でした。见た目もおしゃれな同级生たちが、それまで私が使ったことがないような语汇を駆使して社会や未来を语っていました。私と同じく础翱入试で入学した学生は特に个性的な面々が多かったと思います。私自身も厂贵颁のカリキュラムで学びながら、それこそ生まれて初めて「学ぶ喜び」を味わうことができました。知らなかったことを学ぶことはこんなにワクワクすることなのか……1、2年生のときはそんな一种の兴奋状态の中で、学生生活を过ごしていたと思います。
やがて成人式で地元に帰ったとき、私はその兴奋を高校时代の友人たちに伝えようとしたのですが、だれも「学ぶことが楽しい」をわかってくれませんでした。故郷を离れて大学生になっている旧友もいましたが、毎日が「つまらない」と言うのです。久しぶりの再会の场なのに言叶で表せない断絶感を覚え、とてもショックでした。
そこで私は気づきました。庆应义塾で学んでいる学生は「选ばれしサラブレッド」だということに。多くは大都会で生まれ恵まれた环境で育ち、教育など多大な恩恵を得てきた彼らは、しかしそのことに无自覚であり、故郷の友人たちが生きている社会がまったく见えてはいない。そこには生まれ育った环境による社会の分断があります。梦も目标もなく毎日が退屈だという地方の若者を见たら、厂贵颁の同级生たちは「自分の努力不足だよ」と言いかねません。そう考えると入学したときの兴奋は急速に冷めていきました。そして、言いようのないフラストレーションを抱えながら、私は「どちらの世界も知っている自分だからできることがあるのではないか」と考え始めました。