-厂贵颁の総合政策学部へ进学された理由は。
中森:将来、能楽で身を立てるにしても大学レベルの勉强はしておきたいと思いました。厂贵颁は父が湘南藤沢中等部?高等部で讲师をしていたことで亲しみがありましたし、鎌仓の自宅から通学しやすいことも良かった。调べてみるとカリキュラムがフレキシブルで能のお稽古や舞台との両立もしやすいと思いました。大学では経営学やデータ分析の授业などを中心に履修し、印南一路(いんなみいちろ)教授の研究会で意思决定の心理学について研究しました。心理学には能の登场人物の理解や舞台づくりなどに役立つヒントがたくさんあって、とても兴味深かったですね。
実は大学卒业を控えて少し迷いがあり、就职活动もしていました。しかし最终的にはやはり能楽师の道を选ぶことを决心しました。なにしろ私にはこの鎌仓能舞台をはじめ、父と祖父という师もいて能楽を学ぶために非常に恵まれた环境がそろっています。そしてなにより私は子どもの顷から続けてきた能楽の世界が好きでした。大学卒业后は父の师でもあった东京の観世喜之师家に住み込みの内弟子に入って6年间修行させていただきました。独立して鎌仓に戻ってきたのは2016年のことです。
-プロの能楽师として取り组んでいきたいことはありますか。
中森:やはり祖父が目指したように、多くの方に能楽を楽しんでいただける工夫と环境づくりに取り组みたいですね。「お客さまが心から楽しめる舞台」を目指して试行错误していきたいと考えています。今年は、鎌仓能舞台にもたびたびご出演いただいている狂言师の野村万斎さんが演出を担当し、出演もされていた「能狂言『鬼灭の刃』」が话题を呼びました。登场人物やストーリーをあらかじめ知っていることは能楽鑑赏では大切なので、こうした人気アニメを题材とした舞台は能を多くの方に知っていただくためには极めて有効だと思います。それと同时に400?500年という时间に磨かれた古典作品の素晴らしさも知っていただきたいです。能舞台にあえて现代语訳?英訳を映すモニターを设置したのも、そうした古典の素晴らしさを少しでも多くの方に理解していただきたいからです。
観阿弥?世阿弥亲子が能楽を大成して以来、武士の教养として时代とともに変転してきました。正式な能楽は「五番立て」といって、冒头の「翁」に始まり、「神?男?女?狂?鬼」という5つの“番组”と狂言4曲で构成されていました。ちなみに放送などで使われる番组という言叶はもともと能?狂言用语です。「五番立て」をすべて演じ终えるには日の出から日の入りまで终日かかり、照明がない时代ですから日の入りに间に合わせるため、舞台の进行は今よりむしろ早かったようです。现代ではこうした1日がかりの上演は能楽协会が主催し、シテ方五流が一堂に会する「式能」以外ではめったにありません。能と狂言1曲ずつの上演がほとんどで、私たちの定期公演では、现代のお客さまにも古典の素晴らしさをより深く理解していただくために、その冒头にストーリーの背景やみどころなどの「解説」の时间を设けています。
-シテ役として得意とする曲、好きな曲はありますか。
中森:去年、シテとして一人前と见なされる「道成寺」の舞台をつとめましたので、今后もさらに难しいといわれている曲に积极的に取り组んでいきたいと考えています。できればすべての曲を得意としたいのですが、能楽师として大柄な私の场合、先ほどの「五番立て」でいうと繊细さが要求される「女」の曲には少々苦手意识があります。その反対に荒々しさを表现する「男」や「鬼」は比较的得意としているかもしれません。だからこそあえて「女」の演目に积极的に取り组みつつ、自分なりの「女性の柔らかさ」を表现できるよう、日々精进しています。幸い私にはこの鎌仓能舞台という拠点があり、由绪ある衣装や能面もありますから、ここでお客さまを前に真剣胜负の场数を踏むことで、自分の芸を磨いていくことができると信じています。