-大井さんは、昨年、日本テレビが设立した「VTuber」に特化したエンターテインメント企業「ClaN Entertainment(以下、ClaN社)」の社長に就任されました。VTuber事業はもともと大井さんが社内で新事業として取り組まれていたそうですね。
大井:私は入社时より、デジタル技术を駆使した全く新しいエンターテインメント事业を始めたいと思っていました。つい5年ほど前のことですが、当时はまだ痴罢耻产别谤はほとんど知られていませんでした。今や2万人以上といわれている痴罢耻产别谤も、2018年には1000人ほどだったとされています。现在は3次元仮想空间の「メタバース」という概念も一般に広く知られて、従来は美少女キャラが中心だった痴罢耻产别谤も男性や动物など急速に多様化が进んでいます。私はそこに新しいエンターテインメント事业としての大きな可能性を感じており、急速に进化するこの世界でまだ谁も手掛けていない事业を展开することを目指しています。
-子どもの顷からエンターテインメントが好きだったのですか?
大井:はい。テレビは大好きでしたし、両亲も舞台やミュージカルが好きだったので物心ついた顷からさまざまなエンターテインメントに亲しんでいました。小学校6年のときに家族旅行で行ったニューヨークで见たブロードウェイの舞台のことは今でもよく覚えています。一方でザ?ドリフターズも大好きでした。
-ザ?ドリフターズは大井さん世代のタレントではありませんよね。
大井:私がドリフを初めて知ったのはリーダーのいかりや长介さんの死でした。小学生のときです。テレビの追悼番组で流れたコントがとても面白くて、お年玉などを贮めた全财产约5万円のうち、2万円近くをはたいてドリフの顿痴顿セットを购入しました。その顿痴顿を何度も繰り返し见て、数年后にはコントを人前で披露するほどになっていました。子ども心に彼らのお笑いに対するプロフェッショナルな姿势に心を打たれました。やがて私は厂惭础笔のファンになるのですが、彼らの魅力も歌やダンスはもちろん、演技やお笑いなど新しいことに挑戦し続けて、その上で全てにわたってプロフェッショナルであることでした。また、私が通っていた都立高校は文化祭で全クラスがミュージカルを上演するという伝统がありました。部活より文化祭公演に力を入れる生徒が多く、私自身もすっかりミュージカル制作にのめり込んで、集団でのものづくりの楽しさを知った瞬间でした。
-大井さん自身がパフォーマーになっていたかもしれないですね。
大井:いえ、それはなかったと思います。高校时代には演者も里方も経験しましたが、それぞれに面白さがあります。私はずっとエンターテインメントを、世の中に送り出す侧の仕事がしたいと思っていました。小学生の顷から得意科目は社会科。それは世の中の「仕组み」を学ぶことができる科目だからです。そういう意味では会社経営というのも私が楽しんで取り组めることの一つかもしれません。エンターテインメントへの爱と世の中の仕组みへの探究心。この2つが私の原动力といえると思います。