-安藤さんは大学时代に交换留学や世界各国へバックパッキングの旅をされていたとか。海外への兴味はいつ顷から?
安藤:最初の海外体験は16歳のときでした。东京都の国际交流事业で高校生を中国に派遣するプログラムがあって(现在は休止)、鲁迅が大好きだった私は、すぐに応募して派遣メンバーに选ばれました。初の海外はワクワクの连続で、そのときの感动が大学入学后のバックパッカー生活につながっていると思います。
英语は大好きでした。小学生で外国人の友人をつくって、中学生になると狈贬碍ラジオの英会话讲座を欠かさず闻き、高校では英语で演剧をするインカレサークルに所属。また、父が世界史などを教える社会科教师だったので、『叁国志』やヨーロッパ史などについて详しい话を闻けたことも広い世界への兴味につながったと思います。10代の顷の憧れはスペインの无敌舰队(笑)で、大学でも第二外国语としてスペイン语の授业を取りました。
-庆应义塾大学に入学されたのはなぜですか?
安藤:庆应义塾大学は作家を多く辈出しているという印象が强かったからです。当时から书くことが大好きで、小学生で诗を、中学生で小説を、高校生で脚本を书いて、友人が映像化したりしていました。子どもの真似事レベルですが、创作活动が楽しく、作家に憧れるようになりました。他大学にも合格したのですが、なぜか母から「あなたは絶対庆应に向いている」と强く勧められたんです。母のカンは鋭いので、従って良かったと思います。
-入学后の学生生活について教えてください。
安藤:大学生活が始まってみると、自分はつくづく座学に向いていないと身にしみて感じました(笑)。そこから纪行文学の金字塔である『深夜特急』の沢木耕太郎さんなどの影响で海外バックパッカー生活が始まります。バイトしてお金を贮めたら海外へ旅に出るということを繰り返していました。东南アジアの场合、10万円あれば2カ月生活できたのです。海外で见闻を広め、いろいろな人と出会うと、やはり私はフィールドワーク的な学びが合っていると実感できました。そして気がついたら世界20カ国以上に足を运んでいたのです。でも日本にいるときは学科やスペイン语のクラスなどで友达をたくさんつくりましたよ。いろいろな人とすぐに仲良くなれる性格は海外でも、大学でも大いに役立ちました。
-学部のゼミ活动はしていましたか?
安藤:ラテンアメリカ政治研究の出冈直也教授のゼミに所属していましたが、実はあまり热心な学生ではありませんでした。ゼミに入る直前、内阁府(当时は総务省)主催の国际交流事业「世界青年の船」の参加青年として1カ月间以上日本を离れたことがあったのですが、その船で出会ったオランダ人青年たちに影响され、海外留学を志すようになりました。そこで先生に相谈したところ「1年间あなたのことを见ていて、フィールドワークの人だということがよくわかりました。最后に论文を书けばいいから、行ってらっしゃい」と快く送り出していただいたんです。おかげで思う存分、留学のための勉强や準备に打ち込むことができ、寛大な出冈先生には今でも感谢しています。