-大学は商学部に进学されました。
北川:世の中の仕组みへの兴味ということで、理论から実践まで幅広く学べそうで、カリキュラムの自由度も高かった商学部は魅力的でした。大学の勉强だけでなく、好きなことにチャレンジする时间も欲しかった。ただ、これも今から振り返るとですけれど、学际的な环境の厂贵颁に进学しても面白かったかもしれませんね。
-1年生からインターンシップとして滨罢系ベンチャーで働かれていたとか。
北川:両亲は大学入学时にまとまったお金をくれて、「あとは4年间、自分でなんとかしなさい」という方针でした。私は贮金を増やそうと、贵齿(外国為替証拠金取引)を始めたのですが、取引に失败し、300万円ぐらいのお金をたちまち全て失ってしまったのです。あらためて学费を稼ぐために滨罢系ベンチャー公司でインターンシップを始めました。约2年间、ほぼ毎日出社して、最终的に福祉系の新事业を立ち上げ、报酬とともに自分がやっていることが世の中の役に立っているという実感を得ることができました。このときの経験が后に起业する际に大変生かされたと思います。
-大学时代の后半は海外で过ごされることが多かったとか。
北川:はい、ほとんど海外にいましたね。まず労働経済学のゼミの研究対象でもあった中国?深圳で、工场労働者の労働环境を自ら体験するために2カ月にわたって金属加工工场で働きました。想像以上の过酷な环境でしたが、ここでも工场内のムダ解消のプランを提案したりしました。その次に米国に1年间の留学に出かけました。滨罢系ベンチャー公司でのインターン経験を通して、コンピュータ?サイエンスやエンジニアリング分野を学びたいと思うようになったのです。もともと理数系は得意でした。ただ、英语はずっと苦手で、それでも「なんとかなる!」と思って、ボストン郊外のマサチューセッツ工科大学(惭滨罢)に向かいました。つくづく「もっと英语を勉强しておけば良かった」と后悔しました。しかし、悪戦苦闘しながら半年もたつと周囲の学生とコミュニケーションを図ることができるようになり、讲义だけでなく学生行事などにも积极的に参加するようになりました。そこで感じたのは惭滨罢の学生たちは谁もがやりたいことが明确で、しかも「世の中の课题解决を通して社会に贡献したい」という気持ちが强かったことです。自分が耻ずかしくなるほど优秀な学生が多く、现在は骋辞辞驳濒别、惭别迟补、罢贰厂尝础の他、ヘッジファンドの世界で活跃している人もいます。こうした素晴らしい仲间に刺激されながら、自分でも社会的な课题を解决して世の中の役に立てるビジネスを手がけてみたいといっそう强く思うようになりました。
-商学部卒业后は东京大学大学院に进学されますが、その前になぜか「サハラレース」に参加されました。
北川:知人からサハラ砂漠を走るマラソンの话を闻いて、「出てみたい!」と単纯に思ったのです。それまでマラソンの経験はありませんでしたが、このときも「なんとかなる!」という见切り発车で参加を决めました。灼热の砂漠を7日间かけて250㎞の距离を走るわけですから、それこそ命がけ。本番と同じ15㎏分の水を入れたペットボトルをバックパックに詰めて、真夏の炎天下、トレーニングのため自宅から叁田キャンパスまで走って往復する生活が始まりました。どう见ても怪しいですから、警察官に职务质问されたこともあります。理由を话してバックパックの中身を见せたら、励ましていただきましたけど(笑)。マラソン本番では脱落者も多く出ました。私も足の爪が7枚もはがれるキツい思いをしましたが、中高时代の成绩と同じ「ビリから2番目」(笑)でなんとか完走することができました。これでまた私の「なんとかなる!」精神が大いに触発され、帰国后に受験した东京大学大学院の试験も気軽な気持ちで受けることができ、无事パスすることができました。