-武藤さんは中学でアーチェリーを始める前はどんな子どもでしたか。
武藤:外で游ぶのが好きな活発な子どもだったと思います。幼稚园から小学校1年までサッカー教室に通い、野球も大好きでした。本当は野球チームに入りたかったのですが、中学受験があったのでそれはガマンしました。
-入学した东海中学校でアーチェリーに出会ったのですね。
武藤:はい。入学してすぐ仲良くなった友达に「カッコよさそうだから、アーチェリー部を见に行こうよ」と言われて练习を见学に行きました。そこで练习に没头していた先辈たちの紧张感あふれる所作に触れて「やってみようかな」と入部を决めました。上达は早かったのですが、决して最初から真剣に竞技に取り组んでいたわけではありません。たまに练习をサボったりしましたし……。ところが自信を持って初めての対外试合に出场したら同级生に胜てなかった。悔しかったですね。それから本気になりました。负けず嫌いなんです。
-翌年、中学2年生のときには早くも全国大会に出场されています。
武藤:アーチェリーは竞技人口が少ないので、他のメジャースポーツに比べると、全国大会出场はそれほど难しいことではないのです。しかもその试合では完败しました。
-とはいえ中学?高校6年间の练习量はすごかったとか。1日721本射た记録が残っているそうですね。
武藤:とにかく人に负けたくない一心で、自分が克服すべき课题を见つけて纳得がいくまで练习していました。当时は朝から夕方まで6?7时间ぐらい练习していたでしょうか。确かに平均して他の部员の倍以上射ったと思いますが、それは结果的にそうなっただけ。実は今でも练习量は多くて、1日1000本射つこともしばしばあります。今思い返しても、中学?高校时代は一生悬命に自分が好きなことに打ち込めて、竞技者としての基盘を作った时期でした。部活动の先生や仲间たちには感谢の気持ちしかありません。